ベースボール・ビジネス by B_wind

    ベースボール・ビジネス6 競争の多元化

    ベースボール・ビジネス7 プロ野球ビジネスの法則

    ベースボール・ビジネス8 勝利の欲求

    ベースボール・ビジネス9 プロ野球の敗者と不満

    ベースボール・ビジネス10 八百長と競争の演出



     ベースボール・ビジネス6 競争の多元化


     リーグ戦を飽きさせず最後まで盛り上げるには,リーグ戦の中にいろいろな競争があればいいのではないか,ということで米国4大スポーツにしろ欧州サッカーにしろ,リーグ戦といっても一つの競争ではなく,競争が多元的に展開しています。

     欧州の各国リーグはだいたい18チームがホーム&アウェイの総当たり戦を行いますが,このリーグ戦は,リーグの優勝争いと同時に,上位争いは欧州チャンピオンズ・リーグへの出場権争いでもあり,中位でも欧州カップ戦の出場権を競って争います。下位チームは,リーグ残留競争でもあります。このリーグ戦のほかに,下部リーグのチームも参加するカップ戦も行われます。チャンピオンズ・リーグや欧州カップは,各国の国内リーグと同時進行で進められます。

     MLBの場合は,リーグは日本と同じ2リーグ制ですが,一つのリーグに3つのディヴィジョンがあり,レギュラー・シーズン(リーグ戦)での優勝争いは,2リーグ・3ディヴィジョンの6つにもなります。これに,各ディヴィジョンでの消化試合が増えないように,3ディヴィジョンの2位チームのうちで最高勝率のチームはプレーオフに進出できるというワイルド・カードを争う競争まであります。その上に,リーグ・チャンピオンズ・シリーズ,ワールド・シリーズといったポスト・シーズンがあるわけですから,野球シーズンの最後の最後まで盛り上がるようになっています。さらに,2リーグ間の交流戦であるインター・リーグもレギュラー・シーズンの中で行われ,リーグ単位ばかりでなくゲーム単位でも新しい競争を実現しています。

     NPBでも2リーグ制と日本シリーズというように優勝争いは一応3つあります。とはいっても,9月までには態勢がきまり,10月は消化試合となり,10月下旬に行われる日本シリーズまで間があき,盛り上がりをそぐ結果になっています。ディヴィジョン制のMLBの場合,30球団で6つの優勝ですから,優勝の確率は5分の1,ワイルドカードも含めると4分の1以下となります。これに対し,NPBのそれは6分の1です。優勝できる確率が高いということは,競争の機会が増えることにつながります。

     この競争の多元化の考え方と逆行するのが,NPBの1リーグ構想です。1リーグ制では,優勝争いが1つだけになってしまい,消化試合というリーグ戦の弱点を補うどころか,消化試合を増やす結果となります。優勝できる確率も,6分の1から8分の1や10分の1に低下してしまいます。これでは,リーグ戦の商品価値が却って減少してしまいます。これに,戦力の不均衡を促す選手の自由化(FAや新人の自由枠)も加わると,某球団は栄えてもリーグは滅びるといった事態もでてきます。



     ベースボール・ビジネス7 プロ野球ビジネスの法則


     プロ野球は,試合内容やリーグ戦での順位争い・優勝争いを通して観客を集め,収入を得るしくみになっています。ところが,このプロ野球をビジネスとした場合,注意しなければならないことがあります。それがプロ野球ビジネスの法則です。

     スポーツとは,主に身体を使って競争するゲームですから,プロ野球の順位争いは,選手の身体的活動の結果であり,選手の身体的能力に大きく左右されることになります。これがひとつめの法則です。

    ●第一法則 球団の成績は,戦力に依存する。

     次に,プロですから,選手の評価は,通常,金銭によって評価されます。近年ますますこの傾向が強まっています。球団に資金力があれば,能力の高い選手と数多く契約できる可能性があります。実際の選手の入団動機には,出場機会,育成能力,球団施設,球団の評価なども含まれますが,金銭的評価がプロ選手の最大の評価であることには変わりありません。

    ●第二法則 球団の戦力は,資金力に依存する。

     球団の戦力が,球団の資金力に依存するとした場合,球団は,どこからどれくらい資金を調達できるかが問題になります。これが,第三の法則です。

    ●第三法則 球団の資金力は,フランチャイズに依存する。

     プロ野球が,共同体の考えの下で運営されていない場合,第三の法則はあてはまりません。結果として,第一,第二の法則により資金力のある球団だけが,優勝争いに参加できることになります。そして,この資金力が特定の球団に偏ったら,リーグ戦の勝敗もおおかた予想通りとなり,競争も形だけのものになってしまいます。自由競争論には,ビジネス上の競争がフィールド上の競争を阻害するという矛盾をもっているのです。ビジネス面の自由競争は,球団間の資金力による格差を生みだし,それが,リーグの順位を固定化させることになります。

     ただ,プロ野球=共同体という考えに立っても,第三の法則により,フランチャイズの地域人口に格差があると,球団の資金力に格差が生じてしまいます。これは,MLBにおけるニューヨーク,シカゴ,ロサンゼルスといったビッグ・マーケットとカンザス・シティやモントリオールといったスモール・マーッケトという球団環境の絶対的格差が,順位の格差になって表れるという問題が起こっています。そこで,MLBでは,共同体の考えをさらに一歩進めようとしています。



     ベースボール・ビジネス8 勝利の欲求


     プロ野球ビジネスにおける商品は,フィールド上での競争です。スポーツはそもそも,勝敗を競い合うゲームですから,プロの世界ではなおさらです。勝利至上主義に対する非難がありますが,プロの世界では勝利至上主義は当然の成り行きとなります。

     この勝利に対する欲求,勝利の欲求というのは,スポーツにとって,基本となる欲求であるとともに,多元的な欲求でもあります。勝利は,闘争心という人間の原始的欲求から,勝つことにより報酬を得るという経済的欲求,勝つことにより一体感が味わえるという社会的欲求,勝つことにより栄誉が得られる自我の欲求,勝つことにより夢を実現する自己実現の欲求という,低次から高次までの様々な欲求を充足してくれます。スポーツの動機づけには,この多元的な勝利の欲求が重要な位置を占めています。

     この勝利の欲求というのは,観戦スポーツについてもあてはまります。勝利の欲求というのは,選手だけでなく,観戦者であるファンも持っているものです。ファンというのはスタンドやテレビで,選手への同一化による疑似スポーツを体験しています。ですから,選手の欲求は擬似的にファンの欲求ということができます。

     宇佐見陽氏の「大リーグと都市の物語」によれば,地元意識が高まると,プレーに関係なく,声援が飛び交い,「応援を受けているのは実際にプレーしているチームではなく,本拠地の街や都市の地名,そしてその土地に忠実で代表者にふさわしいサポーターである。」という意見さえあるそうです。また,「もともとスポーツ観戦,球団の声援は人間本来が持ち合わせている闘争本能の他者への委任行為であり,さしずめ古来のローマ対カルタゴの戦いを現代の都市対抗戦として,街の名前を冠した球団に託している」ようにも見える,ということです。闘争本能という人間の原始的欲求。その欲求を街の名前を冠した球団に託す社会的欲求。勝利は,これらの欲求を充たしてくれます。

     また,勝利は名誉を得るという自我の欲求を充たしてくれます。これまた,宇佐見陽氏の同著の引用になりますが,1970年代のピッツバーグはNFLのスティーラーズが4回,パイレーツが2回全米を制覇したことで「チャンピオン都市」と呼ばれ,都市住民の活力の源となったそうです。そして,この街に本社を置くウェスティンの会長は「大リーグ球団が都市にとって持っている意味は明快だ。ピッツバーグが大リーグ球団を持っていなかったとしたら,どうやって当社に勤務する人材をこの街へ引っ張ってくるかね?私はこのような効果は金銭には換算できないと思っている」と述べています。

     ファンは,選手や球団に感情移入し,選手や球団と一体となって勝利に心酔します。ところが,ファンは決して選手ではありませんから,時として野球というスポーツから逸脱することもあります。注意しなければならないのは,勝利というのは野球というスポーツを前提にしており,勝利はあくまでも,野球というスポーツの勝利です。プロ野球ビジネスにおいて,勝利至上主義は当然ですが,前提となる野球の魅力を忘れては意味がありません。

    >参考文献 「大リーグと都市の物語」宇佐見陽 著 平凡社新書



     ベースボール・ビジネス9 プロ野球の敗者と不満


     前回,勝利の欲求について書きましたが,実際には,プロ野球には,勝者がいれば,敗者がいます。NPB12球団が1日試合をすれば,通常,勝者は6球団,敗者も同じ6球団です。勝者と敗者を分ける確率は5割です。これが優勝となると,リーグの勝利者は各1球団,日本シリーズの覇者となると1球団だけです。そして,他のすべての球団が敗者となります。プロ野球というのは敗者でもビジネスとして成り立つことを前提にしています。

     高校野球のようなトーナメントは,負けたらそれで終わりですが,リーグ戦は,1度負けても,次の試合で挽回することができます。リーグ戦は敗者に機会を与えてくれるシステムです。また,リーグ戦は,勝ち続けたチームも負け続けたチームも試合数は同じです。リーグ戦は負けても試合を保証してくれる弱者救済のシステムということができます。

     プロ野球は,「勝利の欲求」の充足を目指し,優勝を目標にリーグ戦を戦い抜きます。しかし,すべての球団が勝者となるわけではありません。また,どんなに大金を投資して戦力を集めても,優勝できるとは限りません。監督の采配能力やケガや故障といった戦力以外の要因も考えられます。そもそも,どの球団も優勝を目指し,戦力を補強しています。しかも,野球は確率のスポーツといわれるように偶然性が高く,100試合を超える試合数で争うプロ野球の世界にあっては,優勝球団といえども全勝は不可能です。ところが,観客やファンは,球団に勝利を追い求めます。勝利が観客やファンの「勝利の欲求」を充足し,プロ野球の満足を高めるからです。

     勝利は,観客に満足を与えます。このため,通常,勝利は観客を増やす働きを持っています。逆に,敗戦は,観客に不満を与え,通常,観客を球場から遠ざける働きを持っています。しかし,プロ野球において,勝利と敗戦は裏腹であり,敗戦なくして勝利は存在しません。お金を出して試合を見に来た観客のうち,勝者を応援していた観客は満足を得ますが,敗者を応援していた観客は不満を抱えて家に帰ることになります。つまり,プロ野球というシステムは,勝敗だけでは,観客に100%の満足を当たえることが出来ない構造になっています。

     この勝利の満足は,勝利が続くに従って漸減していきます。勝って当たり前では,観客の満足度は低下し,勝つと思って見に来たのに負けたら,不満は倍増します。敗戦があるからこそ,勝ったときの喜びが高まるのです。

     勝利は観客を惹きつけます。このため,プロ野球は,勝利を目指し,優勝を目指し,リーグ戦を戦います。しかし,プロ野球は敗者の存在を前提にしています。日本のプロ野球は,すべての球団で入場者が年間100万人を超え,全体では,2000万人を超える観客が集まります。勝利だけがプロ野球の魅力ではないはずです。勝利以外の魅力を引き出すこともプロ野球ビジネスの大きな仕事といっていいかもしれません。



     ベースボール・ビジネス10 八百長と競争の演出


     プロ野球で一番意味嫌うものは八百長です。八百長は,あらかじめ試合の内容や結果が決まっています。そもそも,プロ野球は,勝敗を競い合うゲームです。筋書きのないドラマに例えられるとおり,野球は,結果が初めから分かっていては,ゲームとして成立しません。プロ野球というのは,試合やリーグ戦といったフィールド上の競争が,前提であり,競争のない八百長は,プロ野球の存在意義がなくなります。

     プロ野球の八百長事件として,MLBでは,ブラックソックス事件があり,NPBでは,西鉄の黒い霧事件があります。これらは,プロ野球の存在を脅かす事件に発展しました。そこで,プロ野球は,八百長を断固排除するために,関係した選手の永久追放という形で断罪したのです。近年のMLBでのピート・ローズの永久追放も,プロ野球が八百長を断固として許さないという姿勢を示す表れです(ただし,ピート・ローズについては最近名誉回復の話がでています)。

     ところで,八百長ではなくても,球団間の戦力格差が大きすぎると,初めからある程度,結果が分かってしまう場合があります。02年,春先から独走状態のままでのぶっちぎり優勝したジャイアンツ,公式戦が始まってすぐに優勝から見放されてしまったベイスターズといった具合に,球団間の戦力不均衡が,そのまま,結果に反映される形になりました。調子のよかったタイガースも最後は,戦力どおりに定位置のBクラスに落ち着きました。結局,球団間の戦力不均衡は,消化試合を増やすだけです。

     プロスポーツも,エンターテイメントとして,ショービジネスの一種と考えることができますが,スポーツがショーとは異なるのは,それが競争であるという点です。ですから,競争のない消化試合は,八百長の場合と同じく,プロスポーツとしての魅力が消えてしまいます。このため,プロスポーツでは,いろいろな競争の演出が行われています。それが,戦力の均衡策であり,競争の多元化です。

     また,投打のアンバランスによって,一方的な試合が増えたり,試合が単純化し,競い合いがなくなってしまう場合もあります。このような場合には,ルールの変更も行われます。

    ●競争の演出

     八百長がだめで,競争の演出は許されるのか。競争を演出することは,八百長ではないのか。こういった疑問が出てくると思います。ところが,プロ野球を含めたプロスポーツは,観客があって初めて成立する「見せるスポーツ」です。「見せる」という行為において,ショービジネスと共通性があります。プロスポーツの商品はゲームであり,ゲームの内容が魅力に乏しければ,観客は減り,プロスポーツは成り立たなくなります。このゲームの魅力のためには,ゲームの演出は許されるものだと思います。進行中のゲームの中身を演出することは許されませんが(それは,スポーツだからです),ゲームのお膳立てを演出することは,プロスポーツとして当然認められるものです。


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