プロ野球事件簿 by アトムフライヤー

    第1回 江川事件シリーズ 〜その1〜

    第2回 江川事件シリーズ 〜その2〜

    第3回 江川事件シリーズ 〜その3〜

    第4回 江川事件シリーズ 〜その4〜



     第1回 江川事件シリーズ 〜その1〜


     読者のみなさま、こんばんは。今回からのシリーズは、江川事件についてです。この事件については、みなさまのご記憶の中に、典型的な、『横暴な球団とワガママな選手の起こしたとんでもない事件で、しかもコミッショナーが無能で機能しなかった典型的な事例』として存在していることと思いますが、私は果たしてそうだったのか、もう一度きちんと検証しておく必要があるだろうと考え、第1回目としてこのネタを取り上げさせていただくことといたしました。みなさまも私と一緒に考えていただけると幸いです。よろしくお願いします。


     さて、まずは事件の概要についてですが、これは、ドラフト指名を拒否し、アメリカに留学していた江川卓選手と巨人が、野球協約の盲点を突いて契約し、コミッショナーがそれを拒否するとリーグ脱退の脅しをかけ、結果的に小林繁選手とのトレードで巨人に入団したというもので、おそらく、プロ野球史上もっとも有名な事件でしょう。この事件については語り尽くされた感がありますが、しかしこの事件ほどマスコミの報道の歪みがはっきりと出た事件はありません。そこで私としては、まず、非難を浴びた江川選手と金子コミッショナーの名誉と人権を少々回復させたいと思います。


     では、事件の説明をします。
     6大学の中の法政大学野球部に所属していた江川卓選手は、栃木県の作新学院在籍時の高校時代から怪物と騒がれ、当時の阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)のドラフト1位指名を蹴って、大学に入学し、大学時代においては、通算40勝、史上2位の記録を残しました。1977年度のドラフト会議においては、おそらく、もっとも注目された選手でしょう。
     江川選手は、「巨人以外は行かない。」と巨人を逆指名宣言します。そしてクラウンライター(現西武ライオンズ)が指名すると「九州は遠い。」と言って入団拒否を行い、社会人野球に進まず、出身高校・作新学院の職員の身分でアメリカ留学しますが、その動向が注目される中、1978年度のドラフト会議直前に突然帰国し、ドラフト会議の1日前の11月21日に突然巨人と契約します。
     これは、野球協約でドラフトで指名された選手の交渉権は、翌年のドラフト会議の前々日で消滅することから、交渉権が消滅し、翌年の交渉権を決める日の間を利用したものでした。これがあまりにも有名な「空白の一日」で、流行語にもなりました。そして巨人は、セ・リーグ機構に契約の成立を届けたが、会長が却下。そこでこれを受けた巨人は、22日のドラフト会議をボイコットし、契約を認めなければ「重大な決意決意で望む。」と全面闘争を宣言します。
     すると22日のドラフトは、巨人抜きという異例の事態の中行われ、江川選手の交渉権は、抽選の結果、阪神タイガースが獲得したのですが、これを受けた巨人は、12球団がそろわない状況でのドラフト会議は無効、とコミッショナーに提訴します。そして当初、巨人の行動に反発していた残り11球団も、「巨人の重大な決意」の声明には、一転して弱腰になります。というのも、盟主・巨人抜きでは、セ・リーグどころか、プロ野球興行そのものが成り立つかどうか不明だったからです。当時のマスコミ報道は20世紀末と同様、巨人抜きでは成り立たないような状況になっており、各球団は、その巨人人気にぶら下がって商売をしているような状況の真っ只中にありました。
     またマスコミでは、この状況を踏まえた上で、巨人の重大決意とは、リーグ脱退、新リーグ結成ではないかと推定した記事が踊り、テレビでもこの問題が取りあげられるなど、「江川問題」は社会現象となり、日本中の注目の的になりました。


     そんな状況で日本全国が大騒ぎになっている最中、12月21日に当時の金子鋭コミッショナーは、巨人の提訴を全面却下。江川選手との契約・ドラフト会議不成立は無効、との判断を下します。
     しかし、翌日コミッショナーはこの強硬な姿勢を一転し、阪神に対して、いったん江川選手と契約し、その後巨人の選手とトレードするように、という「強い要望」を出します。すると阪神・巨人両球団は、これを了承。そして巨人からは主力投手のひとり、小林繁選手をトレードすることが決まります。
     具体的には、まず、江川選手は、阪神と契約。続いて小林選手は、巨人から阪神へと自主的にトレード。そして、新人選手の開幕前トレードは野球協約で禁止されているので、開幕後に江川選手は巨人にトレード。巨人は江川選手の一軍登録を6月まで自粛、キャンプも不参加、というやり方を採ることとなりました。
     するとこのプロセスを経て、開幕後である4月7日に、江川選手は巨人に入団。6月になってようやくデビューし、この事件は終わりました。


     しかしこのやり方については、世間からは金子コミッショナーに対し、プロ野球界の最高裁の裁判官が1球団の脅しに屈した、とすさまじい非難の声があがり、これを受けたコミッショナーは後日、辞任することとなりました。
     そしてこの年、江川投手が9勝に終わる一方、移籍した小林投手は、巨人戦8勝を含む20勝をあげ、セリーグの優勝は広島、巨人は5位に終わりました。それに加え、その後もこの件に関する江川さんや巨人に対する世間のバッシングはやむことなく、江川さんは今日に至るまで、アンチ巨人の批判の一番の的になっています。


     以上が概要です。次回は、この件について、さらに深く突っ込んでいきます。



     第2回 江川事件シリーズ 〜その2〜


     さて、今回は前回の続きです。この江川事件について整理していきたいと思います。


     まず、この事件の特徴は、選手の入団に大物政治家が表面で登場したことです。ただ、「空白の1日」のシナリオを書いたのが、当時の自民党の副総裁で、江川さんの母校の理事長を務めている船田中さんの秘書蓮実進さんであることは、現在では広く知られていますが、蓮実さん自身この件については、シナリオを書いたこと自体は認めていても、それが巨人の依頼によるものか、それとも江川さんの依頼によるものかは明らかにしていません。


     しかしながら、どんな理由があろうとも、一番悪いのは巨人です。仮に「空白の1日」のシナリオを船田さんの方から持ち込まれたのだとしても、このやり方がモラル上許されないことは明らかです。というのも、プロ野球興行は、1球団だけで成り立つものではないからです。B_windさんが広瀬一郎さんの言葉を引用して常々仰っているように、プロ野球興行はあくまでリーグ戦興行体なのであって、1球団が自球団の都合のみにて暴走するなぞ、とても許されるものではないし、またこれは、仮にも「球界の盟主」というロールモデルを自認する球団が行う行為ではありません。これは当時の長谷川代表、正力オーナー、務台会長ともに同罪です。いくら、批判されても仕方がないでしょう。それは、ドラフトでは選手に球団選択の自由がなく、人権がないではないか、という現実とはまったく別の問題です。これに関しては、巨人に一切の同情は出来ません。


     また、船田さんを筆頭に、江川さんの周囲で動いていた人たちも、罪は大きいでしょう。巨人が一番悪いからといって、彼らの行動が許されるわけでは決してありません。
     当時の種々の週刊誌の情報によると、江川さんの周囲の人たちは、彼が高校のころからすでに讀賣グループとつながりを持ち、彼を巨人に入団させるべく活動していたとのことで、まさに選手にたかる「野球ゴロ」と言えましょう。こんな連中が日本の政治を動かしていたのかと思うと、私は情けなくなります。


     さて、巨人と船田事務所の罪は明らかですが、次は金子コミッショナーについてです。
     世間では、コミッショナーとして高い報酬をもらいながら、たかが一球団の脅しに屈して自らルールを破るとは許せない、そもそも、巨人の後援会の会員がコミッショナーを行うこと自体が大問題だ、日本の球界にはコミッショナー以上の権限を持つ者がいる、と、江川さんに対するのと同様、個人攻撃の筆頭になっています。しかし、世間でこそ金子さんは巨人ひいきの裁定をしたと批判されていますが、実際はどうだったのでしょうか?
     金子さんは、このときの裁定を行ったことについて、次のように述べています。


     「今回の件について、巨人は、弁護士を雇い、法廷闘争をしてでも決着をつけると言っている。弁護士を6人も雇ったことを見ても明らかだ。だから巨人は、そのメンツにかけてでも、江川選手の契約を解除することはしないだろう。もしも法廷闘争になってこの件が長引いたら、来年の日程にも影響が出るし、世間からプロ野球自体が見放されるおそれがある。そうなったらおしまいだ。それに、巨人がリーグを脱退して新リーグを造るといううわさがあるが、すでに数球団が巨人と接触しているという情報が、私の耳にも入ってきている。もしも巨人がリーグを脱退したら、大混乱になり、収拾がつかなくなるだろう。しかしだからといって、そのまま江川選手の契約を認めることは、機構として出来るわけがない。そこで、今回は特別ということで、江川選手を阪神に入団させ、トレードで巨人に入団させる。そして巨人は、ドラフトの放棄を認める、という誓約書を出した。確かに、法を曲げるのは良くない、しかし、現実にはこれ以外にこの件を治める方法はない。批判は甘んじて受ける。」


     この発言から、金子さんが「強い要望」を出したのは、巨人の新リーグ構想に数球団が乗ろうとしている現実を踏まえた上で、巨人のリーグ脱退による混乱を避けることを狙ったためであることがわかります。
     確かに1球団の強引な主張を認めてしまったこと自体は問題ですが、金子さんの「強い要望」は、巨人に追従する他球団の行動から出たことは明らかでしょう。世間では、この、巨人に追従する他球団の行動についてはほとんど批判されていませんが、彼らの言い分である「興行権を理由にやむなく従った、脅した巨人が悪い。」というのは、所詮言い訳にしかならないでしょう。
     ルールを守り、他球団が巨人につかないようにするのがコミッショナーの仕事だ、という主張もありますが、そもそもルールとは、みなさんの合意のもと、みなさん自身で守るように努力すべきことで、大半の球団が守ろうとしなければ、コミッショナーが実行できるわけがありません。巨人の主張に真っ向から反対したのは日本ハムファイターズだけでしたし、結局この裁定を受けいれてしまった10球団の罪も大きいでしょう。
     金子さんの罪は、協約に不備があることを知りながらそれを放置していたことです。これについては責められても仕方がありません。しかし、それは、ドラフト制度導入後のコミッショナー全員にいえることで、金子さん個人の問題とはいえないのではないでしょうか。


     では、次回は江川さん本人について書いていきたいと思います。



     第3回 江川事件シリーズ 〜その3〜


     前回は当時の金子コミッショナーについて書いてきましたが、今回は、江川さんについて書いていきます。


     まず、この事件についての記述のある文献はほとんど、江川さんが自ら、巨人への入団を政治家である船田さんに依頼したと書いています。もしもこれが事実なら、江川さんはいくら批判されても仕方がないでしょう。また、政治家をバックに高校時代から傲慢な行動を取り、地元では嫌われていたとも言われています。
     しかし、当時クラウンライターのフロントに在籍し、江川さんを指名して自ら交渉した坂井保之さんは、「交渉には江川さんの父親二美雄さんが出てきたが、お願いだから交渉に来るのはやめてくれ、こうして会っていることが知られただけで、あるところからは怒られる、とおびえきった様子だった、少なくとも、政治家をバックに威張っているという様子はなかった」と言っています。


     また、江川さんと高校時代にバッテリーを組んでいた小倉さん(現在は養子にいって名字が変わっておりますが)が週刊誌に書いた手記によると、

     「江川は、最初は野球のうまい普通の高校生でしたが、試合で投げて記録を作るようになるとマスコミが群がり、ひんぱんに理事長にも呼ばれるようになり、次第にクラスメートのみんなとは溝が出来ていったんです。そして彼が甲子園に出場して記録を作るとそれがエスカレートして、野球部のチームメートからも避けられるようになり、どんどん孤立していった、江川本人は、特別扱いされてみんなから浮くのをすごくいやがっていたが、どうにもならなかったんです。だから、韓国遠征の選抜軍に選ばれて、他の高校の連中と楽しそうにはしゃいでいるのを見て、江川の心情がわかったような気がしました。」

     と書いています。


     また、江川さん本人のコメントによると、高校で投げて記録を作るたびに、理事長から呼ばれるなど周囲が騒ぎ出していた、自分では望んでいなかったのに、と言っています。


     したがって、この小倉さんのコメントから推察するに、江川さん本人と小倉さんと江川さんの仲を差し引いても、政治家の権力をバックに傲慢な態度をとっていた、というのは違う気がします。また、坂井さんの話からは、小さい町での政治家の強引な影が伺えますし、こうした地方では政治家の要望を断るのはむずかしいものと思われます。
     それと、船田さんが江川さんの母校の理事長で、江川さんの後援をしていたことは事実ですが、江川さんが船田さんに自ら巨人入りを依頼した、という根拠は示されていません。事件が事件だけにそう推定したのでしょうが、私から見ると、どうも根拠が乏しいように思われます。


     さらにこれらに加え、江川さんの話によると、入団交渉はすべて父親の二美雄さんがしきり、自分は蚊帳の外にあり、米国留学の費用も二美雄さんが会社から退職金を前借りして用立てたということでしたから、これは、本人の意思とは別に、周囲に利権を求めた連中が江川さんに群がり、巨人に入団させるというシナリオを書いてこれを実行し、本人がふりまわされた、というところではないでしょうか。
     もちろん、きっぱりとこれをはねのけられなかった本人にも責任はありますが、果たして同じ条件で自分自身の意志をきちんと貫ける人が、一体何人いるで しょうか。少なくとも、江川選手の個人の行動を永遠に責め続けるのはあまりにも酷といえるのではないかと私は考えています。


     では次回、最後に、江川さんのトレードの相手となった小林繁さんについてコメントし、このシリーズを終えたいと思います。



     第4回 江川事件シリーズ 〜その4〜


     いよいよこのシリーズも今回で最後ですが、この最終回では、まず、実質的に江川さんとの交換で阪神に移籍した小林繁さんについて書かせていただき、後半ではこのシリーズの締めくくりをしておきたいと思います。


     まず、当時の状況を振り返ってみましょう。
     マスコミ報道では、キャンプ参加のために着いた羽田空港で球団から呼び戻され、その場でトレードの通告を受け、文句を言わずに阪神タイガースに入団した小林さんを、スキャンダラスなイメージで叩いた江川さんと比較して、「漢(おとこ)だ!」とほめあげましたし、世間一般でも小林さんはそのように賞賛されました。
     しかし、このときに小林さんが移籍を承諾したのは、あの人が現役を続行したかった以上は当然のことで、こういうことを小林さんが受け入れたからといって、あの人が「漢」であるかどうかということとはあまり関係ないのではないでしょうか。私は、それは所詮選択の問題であって、当時の野球協約に従って現役を続行したかっただけの話ですから、それについて何か感情的なことをしゃべることが適切とは思えません。巨人の選手でやめたかったら、小林さんはユニフォームを脱いだであろう、それだけの話です。
     次回のシリーズ、「藤波行雄の移籍拒否」でも書いたのですが、当時の協約では、選手側からは保有権の球団移転を拒否できません。もしも現役を続行したかったら移籍を承諾するしかないし、いやなら現役引退するしかなかったのです。


     また、実績のない新人選手とのトレードはかわいそう、という声が相当ありましたが、では、現役四年で通算安打11本の野手ならよいのでしょうか。通算2勝の投手ならよいのでしょうか。
     これらは実際にあった“不釣合いな”トレードの実例で、前者には安打1500本の実績、後者には首位打者二回の実績がありま した。しかし当時、彼らのことを誰も「漢」だとは言っていません。
     確かにこのトレードは理不尽なものに過ぎませんが、所詮保有権の球団所持というのはこういうことなのです。だから、こういう理不尽さに対し、かつてメジャーリーグ・ベースボールの世界でカート・フラッド選手が身体を張って裁判を起こしたり、当時のMLB選手組合のマーヴィン・ミラー委員長が奮闘したりした過去がありましたし、その結果彼らは、アラン・メッサースミス選手を第1号として、FAの権利を勝ち取りました。
     またこの結果、日経夕刊にコラムを寄稿しているジム・ケイブルさんの説明によれば、データの面から見て、FA制度が球界の戦力均衡に寄与した、という現象も生まれています。というのも、この結果移籍の自由を手にした選手たちが各球団に散らばることによって、多くの球団に優勝のチャンスが訪れたからです。
     そして話をこのトレードに戻しますと、これを批判するなら、「実質的な違法トレードで小林選手を移籍させるのは問題」でなのであって、「実績のない選手とのトレードはかわいそう」というのは単なる感情論にすぎません。


     さらには、トレード通告の時期について、小林さんはあらかじめ知らされており、羽田空港での行動はマスコミ向けのパフォーマンスに過ぎない、という説があります。ちなみに当時の週刊ポストの記事によると、巨人側が、阪神側からトレードの相手として新浦投手か小林投手を指名されたとき、小林投手に決めたのは、小林投手が契約更改で毎年もめごとを起こしたり、私生活の問題で金銭に困ったりしていた、というのが大きな理由で、これを決めた巨人側は直ちに小林投手に連絡し、この件について彼に移籍金を出すことで納得させた、と書いてあります。
     ただこの件について小林さんは、私生活の問題は認めましたが、他のことについては否定していますし、特にトレードの通告の件に関しては一貫して、この通告は羽田空港で受けたと言い続けていますから、それは信じたいところなのですが、やはり私が考えるに、流れからいっても、週刊ポストの話の方が自然でしょう。
     また、この件における一連の報道の中で見られたマスコミの報道姿勢として、小林さんの主張は本当で、江川さんの主張はウソというのはどういう根拠があるのでしょうか。マスコミによる単なる偏見だとしか言えないのではないでしょうか。


     さて、この事件の総括です。仮にこの事件で、世間の大半の人が主張しているように、巨人の提訴を金子コミッショナーが全面的に却下した場合、はたしてどうなったでしょうか。
     おそらく巨人は法廷闘争に持ち込み、リーグ脱退を決行したでしょう。また「空白の一日」の件についていえば、裁判になった場合、たとえ協約に不備があったとしても、「空白の一日」が存在したという事実に変わりはありませんので、判決では巨人の主張が通る可能性がきわめて高かったのです。そして、もしもそうなれば野球機構のメンツは丸つぶれになりますが、それ以上に、連盟内で内部分裂が起これば大混乱となり、興業どころではなくなるでしょう。
     また、新リーグ結成といっても、いきなり事務局もなしに日程等の興業上の問題をクリアすることができるか、私としては疑問です。プロ野球で生計を立てている人たちの生活にもかかわりますし、なにより、世間からプロ野球が見放されかねません。


     したがって以上のことを踏まえると、今回の事件についての巨人の罪を考えた場合、巨人の罪は、金子コミッショナーを脅して自分の主張を通したことではなく、リーグの崩壊を招きかねない無理な行動を取ろうとしたことにある、というのが私の見方です。
     そして問題は、この巨人の暴挙をむやみに受け入れてしまった残り11球団の行動にあります。もしもここで、残り11球団が金子コミッショナーを批判するのなら、一致団結して、「巨人のリーグ脱退結構。一球団で勝手にやればよい。」と巨人をリーグから閉め出すように主張しなければなりません。この巨人の暴挙は、自分たちが新リーグを結成すれば、これに同調する球団がほとんどという見込みで行っていますから、それがなければ孤立するだけです。
     また、興業自体に影響があれば、これについての賠償請求も可能です。ですから、こうやって断固たる姿勢をとらなかった残り11球団にも当然、罪はあるでしょう。


     ちなみにこのシーズンの巨人ですが、この事件の結果江川選手は獲得したものの、主力投手の小林投手の放出と1979年の新人選手の主力の放棄、さらに、江川投手のキャンプ不参加、開幕二ヶ月の停止という種々のツケが響き、また、この危機に対応できなかった当時の長嶋監督のマネジメント能力の欠落の問題のため、5位という悲惨な結果に終わりました。確かに自分勝手な暴挙をゴリ押ししたこと自体は大問題ですが、巨人は決して得することはなかったのです。
     得をしたのは阪神でしょう。なにしろ、ドラフトの1位指名権を放棄して、10勝〜15勝が計算できる投手を獲得したどころか、その投手がそれ以上の大活躍をしたのですから。したがって阪神が、巨人との興行権を脅しのタネにコミッショナーの「強い要望」をやむなく受け入れた、というのは説得力がありません。ですから、見返りもなく江川さんを放出してしまったのだとしたら話は別でしょうが、結局はこれによって阪神は焼け太りをしているので、他の10球団に比べ、罪は重いと言えます。


     ですから、結論として私が言いたいのは、この事件の問題点は、関わった者全員に責任があるにもかかわらず、これについての批判は、個人である江川さんと金子さんに集中しているという現実にあるということです。確かに彼ら自身に罪の重さがそれなりにあるとはいえ、こっちのほうが悪いから批判するというので は、まったく本質的な解決にはならないでしょう。
     したがってこの事件については、一方的に善玉と悪役を決め、あれだけ煽って大いに部数の売り上げを伸ばし、ものすごくこの事件のおかげで潤ったにもかかわらず、煽ったことについての後始末もせず、何も責任を取っていないマスコミがこの事件では一番罪が重い、というのが私の見解です。


     このように最後はなんだかまとまりがつかなくなりましたが、これで終わります。みなさまからのご意見をお待ちしています。


    【参考文献】

    文藝春秋 江川卓著 本宮ひろし画「実録 たかされ」
    ベースボールマガジン社 坂井保之著 「波乱興亡の球譜〜失われたライオンズ史を求めて」
    ベースボールマガジン社「プロ野球ドラフト25年史」よりの抜粋


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