2002W杯特集 【オープニング】

    1.子供たちに残したい野球 番外編1:サッカー好き、野球好きも集まれチビッコたち:キックベースから始めよう! きよし@川口市

    2.あざらしサッカー あざらし

    3.あざらしサッカー特別編 〜あるイギリス人女性からのメール〜 MB Da Kidd

    4.じゃるじん・で・ふっちぼーる! MB Da Kidd



     1.子供たちに残したい野球 番外編1:サッカー好き、野球好きも集まれチビッコたち:キックベースから始めよう! きよし@川口市


     娘が3歳の時、娘のお友達入れて10人くらいがキッズ・ルームで遊んでいる所に、投げることも蹴ることもできるくらいの、手ごろなボールを数個とビニールのバットを与えてみました。すると、10人中たいがいの子供は、走りながら蹴って遊びました。バットなどは落ちているボールを叩く道具になっちゃう。やはり子供にとって投げたり打ったりする動作は難しいのでしょうか。数年前、ある番組にてオーバースローで投げる動作と道具を使って打つ動作というのは、霊長類でも人間しか出来ない動作だと言っていました。こういったことを考えると、イチロー選手が3歳から野球を始めたなんてエピソードを思い出すと、やっぱり天才なのか!?と考えてしまいます。

     私が子供の頃よくやっていたのは、ゴロベースです。しかも三角ベース。ちょっとした路地や空き地があって、5対5くらいのメンバーが集まったら、即プレイボール。けど、今は路地で遊ぶのは危ないし、空き地なんてなくって、どこに子供の自由に動き回れる遊び場があるのだろう、と考えてしまいます。ましてや、野球について「こう投げて、こう打たなきゃダメだ」なんて教えていたら、あきらめの早いお子さんは「や〜めた」となっちゃうし、「蹴ること」や「走ること」の方が、子供にとってのスポーツの元型だとしたら、日本プロ野球の危機が叫ばれている中、どうやって小さい子供たちに野球の楽しみを伝えられるだろう、と考えていました。
     ところがっ!あるんです。サッカーの楽しみも野球の楽しみも味わえて、野球もサッカーも知らない子供でもちょっとルールを教えればできるスポーツが!「キックベース」というやつです。みなさん、やったことあります?ある人、結構いますよね!

     私の小学校の校庭は、小学校2年を境に、総コンクリート状態になってしまいました。転ぶと痛いんですね、これが。けど、体育の自由ゲームでみんなが競技を決める時、何が選ばれるかというと、たいがいドッヂボールかキックベースでした。女の子も参加するので、ソフトボールでも無理がある子がいるので、やはりこの2つになりました。このキックベース、結構奥が深いんです。守備はただヤミクモに「思いっきり蹴ってくるだろう」と思って深い守備を取っていると、チョロッと蹴ってバントヒット。「こら〜!男だろ〜!せこいぞ〜!」と野次が飛ぶ。プロ野球オヤジも小学生も言うこと同じなのでしょうか・・・。

     末尾に記した参考ホームページにて標準ルールやプレーの仕方を紹介されていますが、私の小学校でのルールは、ピッチャー(たいがいは女の子)がいて、転がしたボールを規程エリア内で蹴り、投球がエリアを外れたり、あまり高いバウンド球になればファーボールあり。キッカーも所定内エリアで蹴らなければ、ファール。ファール3回でキッカーはアウトでした。女の子でも体の発育した子は、結構ぶっ飛ばして、男の子からも警戒されましたね。ガキ大将が「お〜い、外野!○子だ!サガレ〜!」って。そして、このキックベース、サッカーの「蹴る」と野球の「ベースランニング」だけじゃなく、ドッヂボールの「ぶつける」という要素が入っているんです。
     私の小学校ルールでは、キッカーが1塁に走るときだけは1塁にボールを送るか、フライをキャッチしないとアウトではなかったですが、塁走者は盗塁禁止、で、キッカーがヒットを打ち、野手は塁走者か1塁を回った走者にぶつけて、アウトになります。だから、逃げるわ走るわ、女の子もキャーキャーと大騒ぎ。

     最近、子供好きで「あやしい探検隊」で有名な作家・椎名誠さんが「海浜棒球始末記―ウ・リーグ熱風録」(文芸春秋出版)で、「バットで打つ醍醐味」を強調した、夏の浜辺で行う「浮き球三角ベースボール」なるスポーツを広めているそうですが、私はサッカー音痴なのでよくわからないですが、プレーする側としてサッカーの醍醐味の原点って、何だろう?と考えると、野球が思いっきり「打つ」「投げる」ことだとしたら、サッカーは、ともかく思いっきり「蹴る」ことではないかな、なんて思いますが、どうでしょう?

     比較的柔らかく子供がキックできる大きさのゴムボール1個あれば、20〜30人集まっても、それ以外道具もいらない。ベースは段ボールの切れ端で十分。スライディングなしだから、コンクリートの校庭の上でもできます、が、お子さんにはできれば、土や芝生の上で走る感触を味わって欲しいものです。大人にとっては簡単と思える、打つこと・投げること・捕ることの理屈は取りあえずこっちに置いておいて、「思いっきり蹴って、走って、ブツケるベースボール」のキックベースを、大人のみなさんも一緒に子供たちと楽しんで見ませんか?もしかしたら、メジャーリーグでもプロのアメフトでも活躍したボー・ジャクソン選手のように、将来サッカーも野球も一流になる選手が現れるかもしれませんよ。

    参考:「キックベースボール フットベースボール」のホームページ



     2.あざらしサッカー あざらし


     「聞いてくれ。俺は昔サッカー選手だった。でも、大抵のアフリカの国がそうであるように、自分の国も貧乏で、そのせいで俺はサッカーを諦めざるを得なかったんだ。」

     私が送った一枚のアンケート用紙だけでは書ききれなかったのか、わざわざもう一枚自分で便せんを付け足して、ケニアの彼は答えてくれた。そして、その最後には、

     「PHILIPPE TROUSSIRER, YOSHIKATU KAWAGUCHI, RYUSO MORIOKA, HOROSHI NANAMI….」

     計八人ほどの全日本チームの監督と代表の名前が半ば殴り書きのような激しい調子で書き連ねてあった。

     そして、私はしばしばこのアンケート用紙を前にして考え込んでしまった。これをどう受け止めたらよいのか全くわからなかったからだ。決して、彼の人生の難しさとその国の経済状態について考え込んでいたわけではない。ただ自分が世界中にいるペンパル六十人に出したワールドカップに関するアンケートの結果が、全く予想もしないものだったからである。

     編集長に頼まれて、サッカー無知の私が無理を承知で世界中の友人たち60人ほどにアンケートを送ったのは約一ヶ月前。ヨーロッパの40人ほどを中心に、中東、北南米、アフリカととにかく片っ端から知り合いにメールと手紙両方で「ワールドカップやサッカー、または好きなスポーツについて何でもいいから自分の思うところを聞かせてほしい」とお願いしてまわった。

     そして一ヶ月後。なんと、ある程度の返事が来るだろうと期待していたヨーロッパからはほとんど返事が来なかった。そして届いたのは、予想に反して南米アルゼンチンからの八通ほどのメールとケニアからの手紙。アルゼンチンのものは、ほとんどが恐らくはスペイン語で書いたものを翻訳ソフトで英語にしたものだったのだろう、正直意味を汲み取るのに苦労した。ただ、イギリスに負けたくない気持ち、マラドーナを憂う想いだけははっきりと感じた。それだけ伝えたいものがあるのだ。実は私にはアルゼンチンの友人は一人しかいない。彼女が友人、家族に頼んでくれた。そしてみんな言葉の壁を乗り越えて地球の裏側に自分たちの声を届けようと、わざわざ協力してくれた。そして、前述のアフリカからの手紙。たった三人しかいないアフリカの友人のうち、一人がこんなにも熱心に答えてくれた。郵便事情も通信事情も、ヨーロッパに比べたら格段に悪い地域の友人ばかりが、私の申し出に応え、自らの声を遠い日本に届けようと努力してくれた。
     そして残ったのは、約四十人のヨーロッパにおける友人たちの沈黙だった。

     別段、ヨーロッパの友人たちが筆無精というわけでも、不親切というわけでもない。いつも彼らは実に親切に、たくさんの手紙、メールを私に送ってくれる。気軽に返事をしてくれる。もちろん中にはサッカーに興味のない友人もいるのは承知していた。でも、いくらなんでも、中には大のサッカー好きの友人も数人いるし、十人ぐらいは何かしらメールか手紙で答えてくれると勝手に期待していた。そしてその見通しは見事に裏切られたように思う。

     無論、たった数十人のアンケートで何かを語れるわけではない事ぐらい、十分承知している。今回は「たまたま」あのような結果になっただけかもしれない。やはりヨーロッパのサッカーに対する情熱はすさまじいものがあるはずだ。テレビを通して知る競技場の熱狂は今も何ら変わりはない。私が知っているサッカー、それはヨーロッパも南米もアフリカも共に熱狂してやまない姿。マスメディアはいつも教えてくれた。一つのボールが持つ爆発的な力、それは欧州、南米アフリカを中心に世界のどこにも共通のものだと。そして私はそれを何の疑いもなく安易に信じ込んでいた。このアンケートの結果を知るまでは。

     では、あの四十人の沈黙は何を語っているのだろう?それともこれは考えるに値しないことなのだろうか?考えられる理由の一つは、ヨーロッパが南米やアフリカと異なるのは、言うまでもなく経済的に恵まれているということだ。だから敢えてサッカーを通じて自分たちの存在や意志といったものを国際社会に訴える必要がない、ということもあるかと思う。

     そしてもう一つ。そのヒントは、ただ二通欧州から送られてきた返事にあるかと感じている。一つはドイツから。「ごめんなさいサッカーには興味がなくて。」そしてもう一つはイギリスの看護婦をしている友人からのものだ。「私はサッカーが大嫌い。ワールドカップなんてとんだ茶番。ただのお金の無駄遣いよ、しかも大金の。テレビだって見たい番組が見られなくなるし。」そしてあとはひたすらウインブルドンの話が書いてあった。

     サッカーに対する情熱は、間違いなくヨーロッパにも存在している。ただそこにはほんの少し、南米、アフリカとの落差があるだけなのだろう。
     サッカーに対する拒絶は決して語られることはない。その通常は聞こえてくることのまずない、無言という名の雄弁な発言を、ただ二通の欧州からの返事は肩代わりして私に届けてくれたのかもしれない。



     3.あざらしサッカー特別編 〜あるイギリス人女性からのメール〜 MB Da Kidd


    ●前編


     以前にあざらしさんにお願いしたこの企画のアンケート結果は、あざらしさんにとってだけではなく、この編集長たる私にとっても、きわめて意外なものだった。というのは、あざらしさんによれば、彼女がアンケートを取った40人ことごとくが、沈黙してしまったからである。現に、私にはフランス人女性の友人がおり、彼女からは、渋谷のシティバンク裏のスターバックスで軽く雑談をしていた際、話がW杯に及んだとき、コテコテのブラジルフリークである私に対して、ちゃんとフランスも応援してほしい、ジダンのことも忘れないで、と、しっかりクギを刺されたし、その場に同席していたスウェーデン人の彼女の友人からも、自らの出身国のスウェーデンについて、まったく同じことを言われたため、私にとっては、彼女たち欧州からの友人の反応がごく当たり前のことであったし、また私自身、サッカーはちょっとした雑談のネタにできる程度のスポーツだ、と思っていたのである。

     だが同時に、私の心の中に引っ掛かっていたのは、あざらしさんご紹介の、イギリス人の看護婦さんからのメールに、『私はサッカーが大嫌い』という一言が含まれていたことであった。私は経験上、ヨーロッパ女性のみなさんの『大嫌い』という言葉には、必ずといっていいほどに、深いワケがあるということを知っているから、この一言は非常に気になった。そこで私は、イギリス人の、ジャーナリスト志望の女子大生の友人に、どうしてあなたはサッカーW杯が嫌いなのですかと問うてみた。すると、予想以上にストライクド真ん中の、ズバリの答えが返ってきた。
     彼女の言によれば、

     『私のカレはサッカー嫌いだから関係ないんだけど、女の子はW杯の期間、ないがしろにされちゃうのね。それに、サッカーは女の子たちが参加できるスポーツじゃないしね(筆者註:中国やアメリカのような、サッカーがまだまだメジャーじゃない国の女子サッカーが強いのとは、ヨーロッパは対照的なようだ)。
     おまけにフーリガンはね、すぐ悪いことをするし、他の国に行っても悪いことをするので、私たちとしては、すっごく恥ずかしいのよね。それに彼らは人種差別主義者で、移民排斥を主張するガチガチの国粋主義者だから、他の人種の女性や子供に暴力を振るうのよ。
     だから、イギリスにも、サッカーが好きな女の人はいっぱいいるんだけど、1980年代のスタジアムでの数々の暴力沙汰によって、自分たちがサッカーのゲームそのもの、あるいはスタジアムから取り残された気がしているので、私に限らず、イギリスの女性はサッカーから足が遠のいているんじゃないかしら。』

     ということであった。そこで私は、ようやく自分の心の引っ掛かりが取れたのである。というのは、これも私の経験上言えることなのだが、ヨーロッパの女性は自我というものがしっかりとしていて、自らのエゴを振りかざすことはあまりしないのだが、自らの存在をないがしろにされると、しっかりとした根拠に基づき、毅然とNOの態度を示してくるので、このメールの文言は、それがハッキリと出たように、私には感じられたからだ。

     だが、ここで私がさらに疑問に思ったのは、果たしてそんなに、ヨーロッパの女の人の間で、サッカーは嫌われているのかということだった。これはW杯の間のことだけかもしれないし、メールをくれた彼女だけの事情を話しているのかもしれない。そこで私は、ダイスポさんからアドバイスを受けて、さらに突っ込んだ質問をしてみることにした(後編につづく)



    ●後編


     さて、私が件の彼女にぶつけた質問は、以下のとおり。

    1.ヨーロッパの女性がサッカーを嫌っているのは、W杯のときのみなのか?
    2.フーリガン対策は、1980年代以降、なされていないのか?

     すると、こんな答えが返ってきた。

     『できるだけ、ちゃんと答えてみるようにするわね。

     1については、ハッキリ言ってしまえば、オトコとオンナの違いってやつかしらね。もちろん女の人でも、サッカー好きな人っていっぱいいるんだけど、オトコとおんなじようにハマれない、という話なのよね。それに、「オンナのスポーツ」には「オトコのスポーツ」のようにスポンサーがついてくれないから、オンナの方がシラけてる、ってことかしらね。
     まあ、「オンナがサッカー嫌ってる」というのは、一種のジョークね。もちろん、仕事が休みなのにサッカーばっかりにハマっていたら、女の人が怒るのは当然かもしれないけど。ただオトコって、パブで呑みたいからサッカー観戦を言い訳にすることがあるから、それがイヤって人は、いるわね。

     それから2についてなんだけど、あなたの言うとおり、1980年代は確かにひどかったので、それを根絶しようとして、警察が大掛かりな捜査の手を入れたの。でも、目撃証言が不充分で、結局法廷に持ち込んでも、勝てないケースが多くてね。ローカルなレベルだったら、今でもたくさんあるし、現実にこの間、私の地元でもひどい騒ぎがあって、バーはお昼でしまっちゃうし、試合のあとでフーリガンが喧嘩を始めて、警察が街中に出動したわ。私はウチに帰ろうとしたんだけど、彼らが通行人を攻撃するので、警察官が私をバス停までエスコートしてくれた。その日は、100人以上が逮捕されたんじゃないかしら。
     暴力がスタジアムで『許された』ことはないし、現実に今だって許されているわけではないんだけど、今でも彼らの起こす騒ぎは多いわよね。たくさんの方々が亡くなった、1980年代末の”ヒルズボローの悲劇”以降、スタジアムには座席が強制的に入れられて、立ち見での観戦はできなくなった。だから、スタジアムでの暴力は減ったけど、今度は道路で喧嘩するようになった。
     それと最近は、国際試合で暴動が起こることが多くなって、現に去年のヨーロッパ杯でも多くの騒ぎが起こったから、一部のサッカーファンは出国を禁止されているわ。』

     なるほど。私はこれで、ようやく合点が行った。まあ、単純にスポーツなのだから、単なるちょっとした雑談のネタぐらいにはなるけど、これに熱中すると、思わず退いてしまう、ということだったわけだ。

     ただ、こんなにサッカーの話ばかりなので、周りうざくない?と彼女に続いて聞いてみようと思い、さらに読み進めていくと、そのメールには、こんなことが書いてあった。

     『あの、ちょっと恥ずかしいのでナイショにしてほしいんだけど、私サッカー好きじゃないってあなたに言ってたクセに、実を言うとこの間、女王在位50周年記念式典見てるとムカつくからって、アルゼンチン戦観てたのよ。けっこう面白かった。ビール2本空けたわ。でも、これはぜーったい、他の人に言っちゃダメよ。特にカレには言わないでね。絶対よ。恥ずかしいんだから。』

     いやはや。さすがにサッカー発祥国の血のなせる業ということか、それとも、英国人独特の反骨精神の表れと言うべきか。いずれにせよ、これを読んだ途端に、私がずっこけたことだけは、皆さんの想像に難くないところだ(笑)



     4.じゃるじん・で・ふっちぼーる! MB Da Kidd


     読者のみなさん、こんにちは。タイトルの『じゃるじん・で・ふっちぼーる』というのは、日本語でいう、『サッカーの庭』です。
     ポルトガル語でジャルジンというのは、庭=gardenのことで、フッチボールというのは、サッカーのこと。サッカーって、足で蹴る競技じゃないですか。だから、foot ball、これがラテン語化して、フッチボール、と、ポルトガル語ではいうんです。

     僕は幼い頃、オヤジの仕事の関係で、ブラジルに行ってましてねえ。その当時は、日本人の子供と遊ぶチャンスが、最初はほとんど、なくて、現地の子供と遊んでいました。そして、彼らの遊びには、スケボーとか、カートとか、ローラースケートとか、さまざまあったんですが、やはり、高くつく道具を使わないと遊べない遊びは、スラム街の子供にはできません。ブラジルはれっきとした階層社会でして、教育を受けたお金持ちの子弟の遊びと、そうじゃない貧乏な家庭の子供さんたちとの遊びには、大きな格差があるんです。

     ですが、彼らが、唯一、共有できる遊びがありました。

     それは、サッカー。とにかく、丸いボールを蹴って、短い道路に、ゴールポストに見立てた2つずつの石を、入り口と出口にそれぞれ置いて、スペースを確保すれば、そこは、アスファルトのサッカースタジアム。観客は、まだよちよち歩きの5〜6歳ぐらいの子供たち、女の子たち。そして、それよりも少し年上の男の子たちが、地主の息子であろうと、その息子の家で働いているお手伝いさんの息子であろうと、一緒に、街のあちこちで、草サッカーをやっていました。ボールは、ぶよぶよの空気の抜けた青いゴムボールから、革製の白くて高級なものまで、いろいろでしたが、高級なボールを持ってきた子供は、それを自慢げに見せびらかし、自分がキャプテンになって、試合開始。

     こういう草サッカーのおもしろさというのは、どんなことをしても、石と石の間のスペースに、ぶよぶよの空気の抜けたボールであろうと、革製のしっかりと空気の入ったボールであろうと、とにかく、蹴り込めばいいという発想で、みな、トウキック(つま先キック。サッカー経験者の方なら御存じですが、これは、つま先で蹴る蹴り方なので、ボールのコントロールが至難の業になってしまうのです)であろうと、しっかりと足の甲で蹴ろうと、ガシガシ蹴り込んで、何とか点を取ろうとしていて、とにかく、目立とう精神で、好き勝手にやっていたことです。そして、その中でもひときわ目立つヤツは、ゴールをキメると、観客の女の子からモテモテで、キスの嵐をかっさらう。こういう天真爛漫さと自然さがあったことです。
     だから、こういうジャルジン・デ・フッチボールから生まれた選手には、数々の問題行動で世間を騒がせるが、大舞台では一発、力を発揮する、ロマーリオみたいなヤツも、います。

     でも、僕が日本の学校に入って、実際にサッカーをやってみたら、このような面白さは、まるでなかったんですね。そもそも目立とう精神で競争し、プレーするようなヤツはいないし、みんな先生の言うことをきちんと聞いて、ハイ、ハイ、と、忠実に、きちんとしたプレイをこなす。だから、型破りのプレーをするヤツもいなければ、目立つ問題児もいない。それに、入ったときから、パスの練習ばっかりで、実戦向けの練習はまるでなし。練習の成果をすぐに確認できないから、やる気もわかない。目立つとイジめられるしね。何やらツラくて、イヤなところだな、と、僕は思いました。
     従って、当時は飽きっぽくて堪え性がなく、しかも目立ちたがりだった僕は、すぐ、学校でやるサッカーを、やめてしまったのです。

     そこで、そういう経験をしている僕は、やっぱり今でも、サッカーというのは、天真爛漫なヤツがプレーする競技であってほしい、という思いがあるから、どの国のプロサッカー中継を観るにしても、組織的なサッカーをすることが多いと言われるヨーロッパの選手のプレーには、あまり関心がないので、これを見ることは、ほとんどないです。そして、たまにJスカイスポーツのプロサッカー中継で、僕がハッとするプレーを見せてくれるのは、ブラジル人選手か、アフリカ人選手。それは、彼らにはどこか、力だけで押すのではない、しなやかな天真爛漫さがあるからなんですね。

     さて、もうすぐ、サッカーのW杯が始まります。僕はブラジルにしか興味がないし、ブラジルしか応援していないんですが、今のブラジルには、どれだけこういう天真爛漫な選手がいるのか、ということだけに注目して、これを楽しもうと思っています。


現連載

過去の連載

リンク