プレイボールとゲームセットの間に by 粟村哲志

    第1回 「記録上はレフトゴロ」

    第2回 「投球がヘルメットに当たったけど……」

    第3回 「踊る審判員」

    第4回 「正しい目の使い方」

    第5回 「衝撃の投球と投球の衝撃」



     第1回 「記録上はレフトゴロ」


     球審を担当していたある試合でのこと。

     状況は無死満塁。打者がレフトに浅いフライを打ち上げた。三塁走者は塁についたままタッグアップの構えを見せている。球審はこういう場合、左翼手と三塁ベースを結ぶ直線上に位置をとり、左翼手の捕球と走者のリタッチとのタイミングを確認する。そして、走者がスタートして本塁に突入してきたら、そのプレイに対して備えなければならない。緊張の一瞬である。

     ところが打球は左翼手の前にポトリと落ちた。フェアである。全走者が慌ててスタートを切る。送球は左翼手から三塁手を経由して本塁に返ってきた。捕手が足をいっぱいに伸ばして捕球態勢にはいる。タッグプレイに対して備えていた私は一瞬違和感を覚えたが、すんでのところで「そうか、これはフォースプレイだ」と気付いて本塁を注視する。タイミングはアウト。私は捕手がボールを確保しているのを確認して、ゆっくりアウトを宣告した。

     すると、攻撃側の監督が猛然と私に近づいて来るではないか。

     「なんで今のがアウトなんだ! タッチしてないじゃないか!」
     「いや監督、今のはフォースプレイだからタッチは必要ありませんよ」
     「フォースプレイ? なんでフォースプレイなんだ!?」

     私もタッグアップに備えていたせいで一瞬勘違いをしてしまったからよく分かるのだが、この監督、どうも勘違いをしたままのようだ。困った私はさらに説明を続ける。

     「監督、いまのはレフト前に落ちましたけど、例えばショートゴロと同じことじゃないですか。満塁でショートゴロだったら本塁に投げてフォースアウトにするでしょ? あれと同じですよ」

     すると監督は突然硬直してしまった。「ショートゴロ? ショートゴロ……。ショートゴロ……」そのまま首をひねりながら監督はベンチに帰っていった。まったく人騒がせな監督だと思いながら、上手く抗議を処理できてホッとした。

     このような愉快な抗議を受けることはまれだが、アマチュア野球の審判をしていても、監督から抗議を受けることはままある。たいていは、「今のボークはどういうことか説明してもらいたい」だの「今のは打球が打者の足に当たっているように見えた。ファウルではないのか」といった類のことだが、こういう確認といった意味合いの抗議は別に構わないと思っている。
     「今のアウトの判定は納得いかない」とか「今のがストライク? 俺にはボールに見えた」といった抗議は、ルールの精神からいって受け付けられない。しかし、ルールは、審判が規則の適用を誤った疑いがある場合には、監督がそれを指摘して訂正を要請することができることを謳っている。つまり、「文句」は困るが「質問」は構わないのである。

     審判の中にも、抗議が来ることをおそれる人がいる。しかし、立場が違えば意見が異なるのは当然のことであって、抗議を受けることは恐ろしいことでも恥ずかしいことでもない。監督がやってきたらしっかり意見を聞き、自分のジャッジのことは自信を持って説明をする、規則の解釈の問題なら簡潔に意見を述べるといったスマートさを心がけたいと思っている。

     もっとも、打者が打者席から完全に足を踏み出してバントをしたので反則打球を宣告したら、「スクイズの時は仕方ないじゃないか!」と叫んだ監督もいた。そういう人になんと言って説明したらよいものか、途方に暮れることもあるのだが。



     第2回 「投球がヘルメットに当たったけど……」


     公認野球規則9.01(c)項には「審判員は、本規則に明確に規定されていない事項に関しては、自己の裁量に基づいて、裁定を下す権能が与えられている」と記されている。この規則を適用することなど滅多にあるものではないが、私は一度だけ経験がある。

     それはリトルシニアの公式戦での出来事だった。たしか状況は一死走者三塁。カウント0−1から、投手は緩いカーブを投げ込んできた。投げた瞬間は、まるで打者の背中に当たるのではないかと思われるような大きなカーブだ。

     打者は怖がったのか、この投球をしゃがんで避けようとした。そのとき、あろうことか打者の頭からヘルメットが外れてしまったのである。中学生ならではというか、ちょっと普通の野球では考えられないことだが、実際にヘルメットは、しゃがんだだけで脱げてしまった。

     ところでヘルメットは脱げたが、投球は無事に(?)曲がってぐんぐんストライクゾーンに近づいてくる。そして、なんと本塁上で見事にヘルメットにぶつかってしまったのである。

     球審である私の目の前で、わずか数秒の間にこの出来事は起きた。プレート上でヘルメットに当たったボールは、乾いた音を立ててそのままバックネット方向に転がっていった。それを見た三塁走者は猛然とホームに突っ込んでくる。捕手はバックネットまでボールを拾いに行ったが、拾い上げたときには、もう走者はホームを駆け抜けていた。

     私はこの短い時間の間に、頭の中でルールブックを必死にめくった。公認野球規則5.09(a)には「投球が、正規に位置している打者の身体、または着衣に触れた場合」にボールデッドになることが記されている。また、6.08(b)には、「打者が打とうとしなかった投球に触れた場合」に安全に一塁が与えられると書いてある。また、脱げたヘルメットに関しては、6.05(h)【原注】に「打撃用ヘルメットに、偶然打球または送球が当たったときはボールインプレイの状態が続く」と書いてあるのだが、投球に関しては規定がない。

     私は考えた。本当は5.09(a)を適用したいが、偶然脱げたヘルメットは「着衣」と呼べるのか。幸か不幸か投球はストライクだったので、6.08(b)は適用しないで済む。いわゆる「ストライクは死球ではない」というやつだ。6.05(h)【原注】は状況が違いすぎるから参考にならないし……。

     一瞬の間をおいて、私は本塁を指さしながら「スコア」と宣告し、続いて「投球はストライク。カウント1−1」と発表した。守備側の監督が抗議に出てきたが、内容が「ヘルメットは故意に脱いだのではないのか」というものだったので、「故意ではない」ということで簡単に退け、試合を再開した。

     脱げたヘルメットが「着衣」なのかどうか、実は数年経った今でも迷っている。「事件」直後多くの人に相談したが、面白いことにプロ審判は全員私の判定を支持し(確か3〜4人に聞いた)、アマ審判の多くは「ボールデッドとして三塁走者を戻すべきだったのでは」という意見だった。

     確かに、守備側にとっては不幸な事故であり、5.09(a)を適用してプレイを止めてあげた方が親切だったかもしれない。守備側の抗議がこの点をついたものだったら上手く説明できたかどうか分からない。しかし、私にはどうしても脱げてしまったヘルメットは「着衣」だとは思えないし、目の前でボールがヘルメットに当たって捕手が取り損なった瞬間に「あっ、パスボールだ」と感じたのである。脱げたヘルメットに投球が当たったらどうするべきかルールに明記されていない以上、私は私の感覚を信じて裁定を下した。観客からも本部席の方からも一向に不審の声はあがらなかったし、あれはあれでよかったのだと思っている。

     それにしても迷惑な打者だった。その後、彼は走者となったのだが、走るたびにヘルメットを飛ばしていたから、まだ体格が小さすぎて合うサイズのがなかったのだろう。中学生の野球には時々こういうことがあるから面白い。



     第3回 「踊る審判員」


     少し興味のある人なら気付いているかもしれないが、審判員同士で試合中にシグナルの交換をすることがある。手や指を使った簡単なシグナルを試合前に打ち合わせしておいて、実際の場面で意志疎通のために利用する。

     シグナルの形はそれぞれの団体や、その試合を担当するクルーによって多少違うことがあるが、比較的一般的に用いられているものをいくつか紹介してみよう。

     インフィールドフライの確認…インフィールドフライのケース(無死または一死で走者一・二塁または満塁)になっていることを確認するため、右手を広げて胸のあたりを触る。日本ではほとんどの団体でこの形が用いられているが、米国では両手を胸の前で交差させたり、人差し指を立てて帽子のひさしを触るといった形もあるらしい。

     フォーメーションの確認…カバーリングに動くべき方向を指で差して確認しあう。球審が本塁にとどまる場合には真下を指差す。アマチュア野球では基本フォーメーションが決まっているので確認サインを頻繁に用いる団体は少ないが、プロ野球の場合は球審の判断でフォーメーションが決まるので、状況が動くたびに確認しあう。

     アウトカウントの確認…他のサインを出す前に、指を立てる形でアウトカウントの確認をすることが多い。

     アンサー(了解)のサイン…全員が同じ形をするだけでなく、誰かがイニシアチブをとったら、それに対して「了解」の返答をするだけということもある。帽子のひさしを軽く触る、拳を打ち合わせる、頷いてみせる等、いろいろな形が見られる。

     タイムプレイの確認…二死後、三死成立と本塁触塁とどちらが早いか(得点が認められるかどうか)というプレイをタイムプレイというが、その状況の確認。球審が本塁を指差し、塁審が腕時計を触るようなゼスチュアで応えるのが通例だが、球審が腕時計を触る仕草をすることもある。日本ではあまり用いられていない。

     他にもいろいろあるが、字数の関係で省略する。ともあれ、審判員も試合中にできるだけこっそりと意志疎通を図っているということがお分かりいただけただろうか。

     この「こっそり」というのは大事なことで、あまり大っぴらにやって、ベンチや観客席から気にされてしまうようなことは好ましくない。「判定に自信がなくて意見を求めているのだろうか」といったあらぬ疑念を持たれてしまうかもしれないし、だいいちスマートさに欠ける。「あの審判、やたらとピースサインみたいなことしてるけどどうしたのかな」「おい、あそこで審判が踊ってるぞ」などと思われないとも限らない。「踊っている」と観客に笑われた先輩は実際にいる。

     同じ試合をクルーとして担当する以上、意志疎通がしっかりとできることは望ましいことだし、もちろんそうあるよう努力しなければならないが、残念ながらそうならなかった試合も過去にはたくさんある。アマチュア野球では同じ顔ぶれでばかり試合を担当できるとは限らないなど、さまざまな条件もあるとは思うが、しかしながら意志疎通がスムーズにいくかどうかは、個々の審判員の意識の差につきると私は思う。

     初めて会って同じ試合を担当することになった人でも、1イニングを終えれば安心して試合をともにすることができる人かどうかはすぐ分かる。それは、ジャッジの安定性とかカバーリングの動きの正確性とかいうこともあるのだが、なんといってもその人の「顔」が見えるかどうかが最大のポイントであると思っている。目と目で会話ができるような、そういう気にさせられる人と、そうでない人とが間違いなくいるのである。

     たった数十メートルの距離のことだが、コミュニケーションがうまくとれるかとれないかが、審判員としての技量を大きく左右する。



     第4回 「正しい目の使い方」


     先日、私が所属する団体で、シーズンイン前のこの時期に恒例となっている審判講習会が開催された。私は当日、初心者班のインストラクターを担当した。

     ご存じの方も多いとは思うが、少年野球の審判というのは、私のようなごくわずかな例外を除けば、そのほとんどが子供を選手として持つお父さんである。運悪く(?)土曜・日曜に休みが取れるお父さんが、チームでお願いされてボランティアではじめ、いつしか審判の面白さにとりつかれて、子供は卒業したのにお父さんは卒業できなくて……、というのが一番多いパターンである。

     これは、リトルリーグでもリトルシニアでも、ボーイズリーグでも少年軟式でも、ともかく高校野球より年齢が若い野球ならどこでも似たり寄ったりの状況である。そのことの功罪や是非はともかくとして、とにかく私が受け持った30数名は、そのほとんどが昨日まで審判の事なんて考えたこともないようなお父さんなのである。体力に自信があるというわけでもなさそうだし、さしてモチベーションが高いようにも見えない。自分の指導をしっかり聞いてくれるだろうか、あまり熱心にやったのでは、かえって逆効果にならないだろうか……。そういった不安を感じながら講習を始めた。

     指導し始めて分かったことがいくつかあった。お父さんたち、最初は不安そうな顔をしていたが、それほど審判の練習がイヤというわけでもないらしい。ただし、大きな声を出しましょうね、と呼びかけてもあまり大きな声は返ってこない。やはり照れもあるのだろうし、その点についてはあまり強調しないことにした。

     ただし、こちらが言ったとおりのことをすぐに実行できる人は、きわめて少なかった。たとえば、こういう機会に我々インストラクターが繰り返しいうのは、「正しい目の使い方」ということだ。正しい目の使い方が、判定の際の良いタイミングを生む。アウト・セーフを判断する際、タイミングがアウトであっても、それだけでアウトの宣告はしない。野手のグローブに視線を移し、ボールがそこに確保されているかどうかを確認し、それが間違いなければようやくアウトの宣告をする。そうやって正しく視線を動かすことによって生まれるタイミングが、「良い」タイミングになるのである。

     ストライク・ボールの判定でもそうだ。身体をしっかりセットし、投球の軌道を眼球の動きだけで追う。目玉だけをギョロッと動かして見るのだ。そして、投球がストライクゾーンを通過したかしなかったかを判断し、そのボールが捕手のミットに収まるのを確認し、その投球が本当にストライク(あるいはボール)だったかどうかをしっかり判断してから、そのボールから目を離さないように、ストライク(あるいはボール)を宣告する。これが正しい目の使い方だ。

     このことを、口を酸っぱくして言い続け、実際にデモンストレーションしてみせるのだが、そのときは皆さん感心したような顔をして聞いている。それではどうぞ、とやってもらうと、これがなかなか実行できない。もちろん最初から全てを完璧にできるとは思っていない。しかし、あれだけ言っても、どうしても目線をボールに移すという作業が出来ずじまいの人がとても多かった。案外と、審判帽をかぶってきているような人ができなくて、もう見るからに素人ですというような、ジャージを適当に着て、帽子もかぶらないでいるような人の方が、正しい目の使い方を実践していたりするから面白い。
     もちろん器用・不器用ということもあるだろうし、目の使い方が出来なかった人が不真面目だったというわけではない。皆さん、とてもまじめに一日の講習をしっかりと受講され、私の話に真剣に耳を傾けてくださって、私もとても勉強になった1日だった。少年野球の運営は、こういったボランティアのお父さんによって支えられている。あの30数名のなかから、きっといつの日か私と一緒にグラウンドに立つ方が出てきてくれると信じている。



     第5回 「衝撃の投球と投球の衝撃」


     塁審の時はそれほどでもないが、球審を担当していると、どうしても怪我と無縁ではいられない。幸いにして、私はまださほど大きな怪我をしたことはないが、捕逸、暴投、ファウルボールなどが身体に当たって痛い思いをしたことは何度もある。硬式でも軟式でも、ボールが身体に当たればそれなりに痛い。違うのは、軟式の痛みは一時的だが、硬式の痛みは結構長引き、場合によっては骨折に至ってしまう場合もあるという点だろうか。

     最近では結構知られているようだが、球審を担当するときは、審判服の下に可能な限りの防御をしている。審判用に作られた防護板の入っているスパイクを履き、膝まで覆ってくれる脛当てをし、急所を防護するためのカップを着用し、上着の中にプロテクターを着込み、そして捕手と同じようなマスクをかぶって仕事に臨むわけである。マスク以外は服の下に隠しているから一見したところでは他の塁審とあまり出で立ちが変わらないように思われるかもしれないが、「あの球審、ずいぶん体格がいいわねえ」と思われたら、それはプロテクターのせいかもしれない。

     それでも、太股と腕はどうしてもむき出しになってしまう。私も何度もこの部分にボールを受けてつらい思いをしたことがある。太股の場合は、痛いことは痛いが、やはり衝撃を吸収してくれる部分なので表面的な怪我で済む。ただし、硬式のボールが当たれば、とても大きなアザができてしまうのだが。腕や手のひらに当たると骨折の危険性がある。前述の通り、私はまだ骨折といった大きな怪我は経験していないが、手の甲にボールがぶつかって、ボールの縫い目の跡が残ったことは2度ほどある。

     するどいファウルボールなどは仕方がないが、球審にボールがぶつかる理由の半分くらいは捕手に責任があると思う。ショートバウンドなどを責任を持って受け止めてくれない捕手が、案外多いのである。「捕れなくても仕方がないや」という態度が見え見えの捕手の後ろで仕事をするのは、正直言って怖い。球審は、たとえ投球がショートバウンドになっても、最後まで投球を見極める責任があるから、その投球判定の構えを崩すわけにはいかない、というのが大原則だ。しかし、捕手が下手な(あるいはやる気のない)場合には、我々だって自分の身の安全のために逃げなければならないときもある。

     捕手が当然捕球してくれると思いこんだボールが、なぜか捕手を通過して球審にぶつかると、不意をつかれた形になって結構つらい。大学野球のオープン戦で球審を担当した時のこと。内角高め、打者の顔のあたりのボール球を、打者は豪快に空振りした。完全な空振りなので、こちらもゆっくり立ち上がってスイングの宣告をしようと考えた瞬間、何故か顔面にものすごい衝撃が。ボールがマスクにぶつかってバックネット方向に転がっていったのは分かったのだが、マスクが飛ばされるかと思うほどの衝撃で、一瞬何がなんだか分からなくなった。それでも本能的にマスクを外し、ボールの行方を注視しながら、「何故ボールがマスクに当たったんだ? ファウルボールか? それならファウルの宣告をしなければ……いや、違う、打者は空振りだった記憶がある、そうすると今のは捕手が捕り損ねたのか……」朦朧としながらそんな考えがまとまり、改めてスイングの宣告だけした。

     正確な球速は分からないが、140km/h近く出ていたと思う。そんな投球を直接顔面で受けたのは後にも先にもこれっきりだが、一瞬意識が遠のくほどの衝撃だということは分かった。ちなみに、その衝撃を受けたマスクは、わざわざアメリカから取り寄せた新品で、なかなか入手できなくて半年くらい待たされたにもかかわらず、おろしてすぐにそんなボールを受けてキズモノになってしまった。防具なのだから傷が付くのが当然なのだが、「捕手がちゃんと捕っていてくれたら……」と、割り切れない気持ちで一杯だったことを覚えている。

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