Team Chronicles 〜日本のプロ野球チームの歴史〜 東京ヤクルトスワローズ編 by アトムフライヤー

    第1回 社会人野球の曙編(1873-1948)



     第1回 その1:社会人野球の曙編(1873-1948)


     読者のみなさんこんばんは。日本プロ野球史シリーズにおいて取り上げる3つ目のチームは、東京ヤクルトスワローズです。
     このチームは、野村監督就任後は全国的に知名度が上がり、1990年代は人気チームになりましたが、それまではセ・リーグの中でも話題性に乏しいチームでした。
     しかしこのチームには、現在の日本プロフェッショナル野球機構に属するチームとして最古の歴史を誇る読売ジャイアンツと同等か、それ以上のオリジナリティがあります。というのも、スワローズは、高校野球、大学野球とならぶ日本のアマチュア野球の中核である社会人野球の、もっとも深い流れを汲んでいるからです。
     そこでこの東京ヤクルトスワローズのシリーズでは、日本の社会人チームのモデルとなった全国の鉄道局野球チームの誕生、国鉄野球大会の開催、そこから発展した都市対抗野球大会の誕生、その中核を担った鉄道局野球チームの隆盛、戦後鉄道局の選手を中心としてスワローズが誕生した経緯、長い低迷時代、そして、その初優勝から野村スワローズ、若松スワローズより現在に至るまでの経緯について見て行きましょう。

     日本の野球の起源は、1873年に開成校(現・東京大学)にてアメリカ人教師のウィルソンとマジェットの2人が学生たちに教えたのが最初とされており、これが大学野球→高校野球の学生野球へとつながるルーツとされていますが、一方で1877年、アメリカ留学から帰ってきた鉄道技師の平岡煕(ひろし)が新橋鉄道局の職員を集めてつくった新橋クラブ(チーム名はアスレチックス)が、日本初の野球チームにして社会人野球の元祖チームとなります。
     これが、スワローズの大先祖ともいえる野球チーム。つまりスワローズは、日本初の野球チームの流れを汲む、ある意味ではもっとも歴史のあるチームといえるのです。
     したがってスワローズは日本プロ野球界における、メジャーリーグの中でも最古のチーム、*1アトランタ・ブレーブスのような存在といえます。

    *1 アトランタ・ブレーブス
    アメリカ球史における最初のプロフェッショナルチームは1869年のシンシナティ・レッドストッキングスとされているが、このレッドストッキングスはその後ボストンに移り、ボストン・ビーニーターズ→ドブス→ブレーブス→ビーズ→ブレーブスとなり、1953年にはミルウォーキー、1966年にはアトランタに移転して、現在に至っている。

     その後新橋クラブは、平岡自身が渋沢栄一とともに汽車製造の平岡工場を創設することによって新橋鉄道局を辞めたため、明治20(1887)年ごろ解散しますが、それから20年たってから、日本全国で鉄道局チームが結成されはじめます。
     これらを順に追っていくと、

    明治42(1909)年4月:札幌鉄道管理局
    大正4(1915)年4月:秋田鉄道管理局
    大正7(1918)年4月:門司鉄道管理局
    大正8(1919)年10月:仙台鉄道管理局、鹿児島鉄道管理局
    大正10(1921)年4月:東京鉄道管理局
            10月:名古屋鉄道管理局
    大正11(1922)年:本省鉄道管理局
    大正12(1923)年4月:千葉鉄道管理局、大分鉄道管理局
    大正14(1925)年4月:大阪鉄道管理局

     となり、これに加え、1918年あるいは1919年のどちらかに、神戸鉄道管理局がチームをつくっています。

     そもそも鉄道局チームが結成されだした背景には、開成校→第一高等学校から、早稲田・慶應義塾といった高等学校(2008年現在でいう大学)のスター選手たちが官製企業や有名民間企業に就職し、大学卒業後に野球を続ける場としてチームを創設する動きがありました。当時は第1時世界大戦前後ということもあって、日本経済は好況を呈していたこともあり、会社の財政的余裕が、各社のチーム結成の動きを後押ししたのです。
     無論この時期には、1920年に創設された*2日本初のプロ野球チーム、日本運動協会や、続く2番目のチーム、天勝野球団(1921)の存在もあったのですが、これらは稀なケースで、大学でスタープレイヤーとなり、全国的に有名になった選手たちは、将来を嘱望されたエリートたちであったこともあり、当時の日本経済をリードしていた企業に就職した上で、その野球選手としての活躍の場を求めたのです。
     その最先端を走っていたのが、鉄道省の一部門、国有鉄道でした。

    *2 日本初のプロ野球チーム
    大日本東京軍こと東京読売巨人軍が日本初のプロ野球チームという誤解が日本では蔓延しているが、正確には、日本運動協会、天勝野球団、宝塚運動協会に続く4番目である。ただし、巨人は、巡業独立プロ野球チームとしては4番目でも、リーグ戦に参加したプロ野球球団という意味なら、日本球史初ということになる。

     大正10(1921)年10月、国有鉄道は開業50周年を迎えます。
     そして、その記念行事として行われたのが第1回全国鉄道局野球大会でした。
     参加したのは札幌、仙台、東京、大阪、神戸、門司の6チームで、門司鉄道局が優勝しました。

     国鉄野球大会は、大正期の日本球界をリードします。
     そして、この国鉄野球大会をモデルに都市対抗野球大会が創設されるのですが、その経緯は次回に回します。



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