Dreamfieldへの旅 by 鰻谷

    第21回 「Bull Durhamの歩き方(一歩目)」

    第22回 「Bull Durhamの歩き方(二歩目)」



     第21回 「Bull Durhamの歩き方(一歩目)」


     はい、まいど機嫌さん。鰻谷でございます。今回から再び日本からのお届けです。帰国して約一ヶ月が過ぎましたが日本に馴染むスピードが思ったより早く、海外在住者が陥りがちな逆カルチャーショックもそこそこに完全に以前の生活に戻ってしまいました。自転車をキコキコこいでMLB観戦に通っていたトロントでの日々はマボロシだったんじゃないかしら?と自問自答を繰り返す今日この頃、皆様は如何お過ごしでしょうか?

     さて、前回のお話でケヴィン・コスナー主演のベースボール映画『さよならゲーム』(1988年公開)についてサラッと触れたのを覚えておいででしょうか?小生、帰国後にDVDを購入しまして改めて見直したトコロ、恐縮ではありますが、新たにいくつかの発見をしてしまいましたので、ここはひとつ、今回は気の済むまでテッテー的に「さよならゲーム」について語り尽くそうではないか!という非常に読者を限定する、昔流行った「磯野家の謎」的ネタで勝負します。
     実際5月にワタシもロケ地巡りに行ってまいりましたが、映画の舞台となった野球場【ダーラム・アスレティック・パーク】は案外簡単に行けてしまうので、この映画でマイナーリーグのいい加減な雰囲気(敢えてそれをフレンドリーと言ってしまいましょうか)に魅了された方は是非足を運んで頂きたいと思います。
     ちなみにこの映画の邦題は皆様ご存知の通り「さよならゲーム」ですが、本編に全く関係のない苦笑もののタイトルでして、明らかに「配給会社が雰囲気だけで付けたな」というのが丸わかり。従ってここでは呼称を原題の「Bull Durham」で統一する事にしました。その方がカッコイイですしね。

     のっけからシビレさせてくれます。まずピート・ローズやフェルナンド・ヴァレンズエラ、ジャッキー・ロビンソン、ベイブ・ルースら球史を彩ったスター選手達のモノクロ写真をバックにさりげなく出演クレジットとタイトルが表示されます。そしてブルズのグルーピーであるアニーを演じる主演女優スーザン・サランドンの有名な語りが。
     「いろいろ試した結果、日々心を満たしてくれる宗教は...Church of Baseball、野球教だと悟ったのだ」。ここで間髪を入れずロックン・ロールの名曲「Rock Around The Clock」が流れ、アニーがスタンドへ通じる階段を上がりきった所で本編スタート。画面には場末のマイナーリーグ風景が映しだされ、アナタはティム・ロビンズ演じるルーキー投手ヌークやケヴィン・コスナー演じるベテラン捕手クラッシュがプレイする芝の薄くなったボロ球場が気になりだして吐息は荒くなり血圧も急上昇...。

     物語の舞台はノース・キャロライナ州のスモール・シティ、ダーラム。そしてそのダーラムの【ダーラム・アスレティック・パーク】を本拠地としているのが実在のマイナーリーグ・チーム「ダーラム・ブルズ」です。映画の設定と同じく撮影当時(1987年)のブルズは、1Aキャロライナ・リーグに所属するごく普通のマイナーリーグ球団でした。ダーラムはタバコ産業と名門デューク大学のキャンパスがある町として知られており、辻々にレンガ造りの重厚な建物が多く残る歴史的な町でもあります。が、町自体はそれほど大きいものではなく寧ろこぢんまりとしていて、ダーラムに隣接する州都ローリーの方が、当然ながら圧倒的に大都市と言えるでしょう(ちなみに何故だかわかりませんがローリーにはプロフェッショナル・ベースボールのチームはございません)。

     【ダーラム・アスレティック・パーク】、略してDAPは今からちょうど80年前の1926年に、【エル・トロ・パーク】としてオープンしています。Toroとはスペイン語で「雄牛」という意味でして、チーム名のBullsにひっかけた名前でした。球場は映画の通りダーラムの町中にあり、四方をストリートや民家で囲まれた寂れたマイナーリーグ情緒のイメージにぴったりな庶民的スタジアムです。1933年に現在の名称に変更、1939年には当時木造だったスタンドが火災で焼け落ちてしまいます。翌1940年にコンクリと鉄筋で建て直されたモノが、今でも残るDAPなのです。
     映画が公開されるまでのブルズは、マイナーではよくある不人気貧乏球団の中のひとつでしたが、映画の成功により、一躍マイナーリーグを代表する人気チームに変貌。その結果ブルズは1998年のMLBエクスパンションに合わせて3Aインターナショナル・リーグに格上げされる事が決まりました(つまり新球団デヴィル・レイズのトップ・ファーム・クラブに選ばれたわけです)。1995年からは長年住み慣れた愛すべき小球場DAPに別れを告げ、ダウンタウンの南に新しく建設された10,000人収容の【ダーラム・ブルズ・アスレティック・パーク】、通称D−BAPに本拠地を移しました。これがブルズの大まかな歴史です。

     ブルズが去って行った後のDAPは映画の影響もあってか幸いにも破壊を免れ、アマチュア野球やコンサートなどの各種イベントの会場として生きながらえました。そして現在、DAPは再び主を迎える為の化粧直しの真っ最中であります。新しい主はダーラムにキャンパスを置くもう一つの大学North Carolina Central Universityのベースボール・チームEagles。プロではないものの、NCAAのディヴィジョンUに所属するこのチームが、2007年から再びDAPに球音と歓声を蘇らせてくれる事でしょう。
     2005年初夏の時点では、外野の芝はハゲ散らかし放題、サーフェイスはデコボコ状態でしたが、内野は既にきれいに整えられていました。映画では「ブルズの全選手と寝た」もう一人のグルーピー、ミリィのお父さんが寄贈した事になっていた黒いスコアボードはまだ残っており、DAPの顔とも言える茶色にペイントされたトンガリ屋根のチケット・ブースも、健在でした。スタンドは蜘蛛の巣やホコリで少々汚れてはいたものの、私の目の前で業者が清掃をしていました。来年の野球シーズンには、きっと美しい姿になって帰ってくる事でしょう。

     第5回の【リックウッド・フィールド】の項でも同じ事を言いましたが、古い球場を闇雲に壊すのではなくキチッとリノヴェイションを施して「文化のひとつ」として次世代に継して行くのがアメリカの良いトコロです。世界有数のバカ国家ではあるものの、やはりスポーツへの愛情という点においてはいつも感心させられますねぇ。

     ここでトリビア。映画の中で相手チームの選手がHRを直撃させた牛の看板。目が赤く光り、鼻から煙が出て尻尾を激しく振るあの有名な牛の看板ですが、あれは昔から球場にあったモノではなくて、映画の為に創られた小道具だったのです。映画で好評だったので撮影後も球場に残されまして、すぐにダーラムの名物に。で、現在のブルズの球場D−BAPにも同じモノがありますが、実はコレは二代目。初代は目出度く引退しまして今はD−BAPのコンコースに展示されております。

    ●DAPへの行き方

     グレイハウンド・バスの発着するダーラムのバス・ターミナルから東へ徒歩10分弱。Durham School Of The Artsの向こう側、W Corporation St.とMorris St.の角がメイン・エントランスとなります。もちろんイベントのない時は中へは入れないので注意。私が行った時はたまたまメインテナンス業者が来ていたので中に入れてもらえました。

     次回は後編といたしまして、ブルズの遠征シーンに登場するノース・キャロライナ州グリーンズボロの【ウォー・メモリアル・スタジアム】、クラッシュがブルズをクビになった後契約するアッシュヴィル・ツーリスツの本拠地【マコーミック・フィールド】について語りたいと思います。それではまた来月のこの時間に。バイバイ。



     第22回 「Bull Durhamの歩き方(二歩目)」


     はい、まいど機嫌さん。鰻谷でございます。

     突然ですが、嬉しいニュースが飛び込んで参りました。皆さんも既にそのニュースを聞いて狂喜乱舞されている事と思いますが、1997年を最後に財政難で活動休止になっていた「ハワイ・ウインター・リーグ」が今年10月から復活する事になったのです。
     ハワイ・ウインター・リーグは正式名称をHawaii Winter Baseball(HWB)と言いまして、MLB傘下のマイナーリーグや日本・韓国のプロ野球から若手有望選手を集めて1993年に始まった秋季教育リーグです。有名すぎるネタで恐縮なんですが、あのトッド・ヘルトン(現コロラド・ロッキーズ)やジェイスン・ジオンビ(現NYヤンキース)、鈴木一朗(現シアトル・マリナーズ)などの大物選手をはじめ、NPBで活躍するアレックス・オチョア(現中日ドラゴンズ)、ベニー・アグバヤーニ(現千葉ロッテマリーンズ)らもHWBの卒業生なのです。

     復活したHWBは前回と同じく4チームで構成され、ホノルル周辺の2球場、ハワイ大学の【レス・ムラカミ・スタジアム】(4,312人収容)とワイパフにある【ハンス・オレンジ・フィールド】(2,200人収容)をそれぞれ2チームで共用します。レギュラー・シーズンは10月1日から11月21日までで、各チーム40試合。球場の写真を見る限りでは、今回のHWBもあまり客が入らず、赤字経営は必至だと思われます。つまり個人的見解ではありますが、リーグの安定した存続はほとんど期待できないと思っていいでしょう。プロスペクト達が見慣れないユニフォームに身を包んで活躍する姿を是非生で見たい!と希望される方は早めの渡航をお勧めいたします。

     さて、今回のネタです。前回に引き続きまして映画「Bull Durham」で見られるマイナーリーグの球場についてウダウダ語ります。前回はブルズのホーム【ダーラム・アスレティック・パーク】についてウンチクを述べましたので、今回はそれ以外の助演クラスの球場を取り上げましょうか。

     劇中ではブルズの遠征シーンが出てきます。1980年代後半の話なのにまるで60〜70年代のような流線型の銀色オンボロバスで移動するのはいささか時代錯誤なのでは?という無粋なツッコミは置いときまして、その中でも一際目を惹くのがまるでローマ時代の城門のような白亜のエントランスを擁するグリーンズボロの【ウォー・メモリアル・スタジアム】です。

     この球場、【ダーラム・アスレティック・パーク】と同期でしてオープンは1926年。当時から様々なリーグのマイナーチームがホームにしていましたが、最も新しいテナントは1979年から入ってきた1Aサウス・アトランティック・リーグのチーム。このチームはつい最近の2004年まで【ウォー・メモリアル・スタジアム】でプレイしていましたが、さすがに築80年では老朽化も半端ではなく、残念ながら2005年からダウンタウンに新しく建設された【ファースト・ホライズン・パーク】(7,499人収容)に移ってしまいました。かくして空き家になった【ウォー・メモリアル・スタジアム】ですが、その外見の存在感から破壊するには惜しい、と思われたのか現在でもアマチュア専用の球場として余命を過ごしておるようです。

     ちなみに細かい事を申しますと、映画の撮影された1987年当時、グリーンズボロはダーラムの所属する1Aキャロライナ・リーグではなく、いっこ下のレベルの1Aサウス・アトランティック・リーグに所属していました。これは有名な話ですが、Bull Durhamの監督・脚本のロン・シェルトンは、自身も若い頃はマイナーリーグでプレイしていたほんまもんのプロ野球選手でした。その彼がキャロライナ・リーグとサウス・アトランティック・リーグを混同するとは考えにくいので、これはただ単に見栄えのいい【ウォー・メモリアル・スタジアム】を撮影に使いたかっただけではなかろうか?と個人的には思っています。しかし実際に歴史を紐解いてみますと、グリーンズボロは1Aキャロライナ・リーグが結成された時のオリジナル・メンバーでして、1945年から1968年までは同リーグに所属していた事もあるようです。一概に「間違いである!」とは言えないものの、やはり実在のチームが出てくる作品なので、「誰もツッコまんやろ...」ではなく時代考証をキッチリしてリアリティを追求してほしかったような気もしますねぇ。

     もう一つの気になる球場は、ノース・キャロライナ州アッシュビルの【マコーミック・フィールド】です。劇中ではブルズを解雇されたクラッシュ(ケヴィン・コスナー)が新たに契約を結んだチーム、アッシュヴィル・ツーリスツのホームとして出てきます。そこでクラッシュは人知れずマイナーリーグ記録となる通算247本目のHRを打つわけですが、それが本当に記録かどうかは置いときまして、実際【マコーミック・フィールド】は現在においてもアッシュヴィル・ツーリスツのホームとして使用されています。

     こちらの球場は上記の【ウォー・メモリアル・スタジアム】や【ダーラム・アスレティック・パーク】よりさらに2年前の1924年にオープンしています。町中にあるにもかかわらず緑に囲まれたレンガ造りの美しい小球場でして、あるガイドブックでは「one of the most beautiful little fields(もっとも美しいミニ球場のひとつ)」と評されているほどです。現在のスタンドは一見かなり古そうなんですが、意外にも1992年の全面改装の際に建て直されたものです。オープン以来のオリジナルの木造スタンドの様子は、映画にチラッと出てくるのでご覧あれ。この球場の特徴は、水色にペイントされた巨大な外野フェンスです。昔はフェンスがなくて、フィールドの向こうは雑木林だったと聞きます。この手のエピソードは如何にもマイナーリーグらしくて、我々のイマジネーションをチクチク刺激しますねぇ。ワタシは見ておりませんが、球場内の球団オフィスには映画撮影時にケヴィン・コスナーが羽織った背番号16のツーリスツのホーム用ジャージーが展示されているらしく、球団職員の方にお願いすれば見せてもらえるそうです。

    ●【マコーミック・フィールド】への行き方

     グレイハウンド・バスの発着するアッシュヴィルのバス・ターミナルは町はずれの山道にあります。そこからダウンタウンまでは、アシュビル・トランジットの路線バスで。市内の路線バスは、全線がダウンタウンのバス・ターミナルから出発し、再びダウンタウンのバス・ターミナルへ戻ってきます。ターミナルから球場までは徒歩で約10分。とりあえず1ブロック南のヒリヤード・アヴェニューまで下れば、東の方に球場のライトが見えるので、それを目指して歩けばOK。

     映画の終盤にビッグ・リーグに昇格した新人投手ヌークが印象的なセリフを口にします。

    ”This is the very simple game. You throw the ball, you catch the ball, you hit the ball. Sometimes you win, sometimes you lose and sometimes it rains.”(こいつはシンプルなゲームなんだ。ボールをブン投げ、ふんづかまえて、ぶっ叩く。勝つこともあるし、負けることもあるし、ときには神様がどしゃぶりの雨を降らせてブチ壊しにしたりもする)

     如何にもアメリカ人が好みそうな、まるで名言集のサンプルのようなセリフですが「Bull Durham」の魅力、と言うかベースボールそのものの魅力を上手いこと表現していると思います。うーん...感慨深いですねぇ。

     最後に映画のトリビア集を。

    @吐く息が白い・・・そりゃそうです。シーズン中に長いロケはできませんから。野球映画の宿命です。撮影は1987年のシーズン・オフに行われました。
    Aティム・ロビンズが投げる投球は山なりのなのに時速95マイル?・・・彼はチャーリー・シーンではないので。
    Bブル・ダーラム・・・ダーラムに実在したタバコ・メーカーの社名です。本物のダーラム・ブルズもこの会社がスポンサーだったのでブルズと名付けられました。
    Cダーラムには知る人ぞ知るマイナー・リーグ専門誌「ベースボール・アメリカ」の本社がある・・・ベースボール・アメリカ誌のファウンダー、マイルズ・ウォルフ氏(現独立リーグ:アメリカン・アソシエイションのコミッショナー)はかつてブルズのオーナーでしたから。
    DダーラムはUSAベースボールの本拠地でもある・・・何故かはわかりませんが毎年夏にアメリカ・ナショナル・チーム主催の国際試合が行われます。日本との対戦もたまにあります。
    E球場での結婚式やグラウンドを水浸しにして試合を中止にするエピソード・・・実話です。監督が選手時代に本当にあった話らしいです。のどかな時代だったんですねぇ。

     ではでは、また来月のこの時間に。バイバイ。


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