俺が好きなスポーツ by ダイスポ 現代USスポーツ人名録

     現代USスポーツ人名録 〜その1〜(連載第49回〜52回)


     ■イントロダクション 現代USスポーツ人名録、いよいよスタート!
     ■現代USスポーツ人名録 第1回 ロイ・ジョーンズJr.(プロボクシング)
     ■現代USスポーツ人名録 第2回 ボブ・ストゥープス(フットボール、オクラホマ大学ヘッドコーチ)
     ■現代USスポーツ人名録 第3回 ティム・ハワード(サッカー、マンチェスター・ユナイテッド)



     連載第49回 現代USスポーツ人名録、いよいよスタート!


     スポーツを愛する皆様、ご機嫌いかがでしょうか。
     3月まで、毎月2回お送りしておりました「俺スポ」ですが、この4月からは月一での連載という事になりました。そして次回からは、全く新しい連載コラムが登場します。題して「現代USスポーツ人名録」です。


     この「俺スポ」が始まる時、私はこんな事を書いていました。

     「野茂やカズが、世界に飛び出した最初の日本人アスリートではありません。日本のスポーツにも、世界に輝く素晴らしい歴史の積み重ねがあります。アメリカのスポーツは、マグワイアやジョーダンだけではありません。ほんの小さな田舎町にも、ヒーローは必ずいます。」

     今まではどちらかというと、この言葉の中にある「日本の輝かしいスポーツの歴史」を、皆さんに物語形式でお届けする事が多かったのですが、これからは「アメリカのスポーツはジョーダンやマグワイアだけじゃないぞ」というのを、もっと皆さんに知ってもらおうかと思っています。もちろん、ジョーダンもマグワイアも既に現役を退いていますが、「ボンズやタイガー・ウッズ」等と置き換えても良いでしょう。


     ではどうしてこういう連載を今回始めようと決心したかと申しますと、最近の日本における海外スポーツ人気について、少し憂慮している面があるからです。あまり昔話ばかりしていると嫌われそうですが、私が日本に住んで、米国スポーツに対して憧れを抱いていた時代に比べると、いまは大量の情報が溢れています。雑誌や衛星放送、そしてインターネットなどメディアの充実により、欲しい情報が好きなだけ獲得できる時代が来た、といっても過言では無いでしょう。でも、だからと言って、日本の「スポーツ環境」・・・あるいは、あまり好きな言葉ではありませんが、「スポーツ文化」が昔に比べて格段に充実したかと言うと、決してそんな事は無いように思います。アメリカン・スポーツの一番大切な「キモ」のようなものが、伝わっていないように私には感じられるのです。
     そして昨今の、ダブル松井やイチローを中心としたメジャーリーグ人気はたいへん結構な事だと思いますが、しかし一方では、NBAやNFLの人気が日本で落ちているように見える気がします。これはとても残念なことです。それにアメリカン・フットボールやバスケットボールは、何もプロだけが人気なのではありません。大学のフットボールやバスケはプロに負けない位の人気を誇っています。昔は日本でも、これらの競技を地上波で見ることが出来ました。それに毎年冬になると、日本でカレッジフットボールの公式戦が開催されていたのも、そんなに昔の話ではありませんでした。今でもTVで見ることは出来るようなのですが、いわゆるスポーツ専門局における放送に留まっている場合が多いようです。これでは「もともとフットボールが好きな、コアなファン」は見ることが出来ても、あまり詳しくない初心者のファンが偶然中継をみて、ファンになった…という幸運な出会いの機会が、減っていくのではないでしょうか。言うなれば「スポーツファンのタコツボ化」が起きて、各競技のファンはそれぞれマニア化していき、どんどん知識は専門家顔負けなくらいまで深まっていくが、他の競技のことについてはあまり知らないしお互いのファン同士が交流も無い、という事態が進んでいるように思います。


     私のコラムが、アメリカン・スポーツの持つ本当の魅力をどれだけ伝えられるかは分かりません。しかし、日本ではあまり知られていないが、アメリカでは凄く有名なアスリートやコーチ、またオーナーなどの様々な人物を取り上げ、彼らのエピソードを紹介しながら「MLB以外のアメリカン・スポーツにも、こんなに面白い人がいるんだな」「だからこのスポーツはアメリカで人気があるんだな」という事に、少しでも多くの人が気付いていただいたい、そんな風に考えています。


     いきなり大風呂敷を広げすぎたかな?まあ最初ですから、少々鼻息が荒くっている事をお許しください。どうぞ今後とも「現代USスポーツ人名録」をよろしくお願いします。


     またこれまでと同様に、アメリカのスポーツについて詳しく掘り下げていく「USスポーツワールド」も、不定期にお届けしていきたいと思います。次回は、アメリカの現代ボクシング事情について詳しく書いてみたいと思っています。そこで、ちょっと手前みそになってしまいますが、拙サイトで最近オープンしたボクシングブログWORLD BOXING EXPRESS(WBE)を、是非一度ご覧いただきたいと思います。
     こちらでは米国在住のボクシング通、Corleoneさんが世界の最新情報をお届けしてくださっています。ボクシングに興味のある方も無い方も、是非一度「WBE」をご覧になってくださいね。


     それでは、また来月お会いする事にいたしましょう。



     連載第50回
     現代USスポーツ人名録 第1回 ロイ・ジョーンズJr.(プロボクシング)


     スポーツを愛する皆様、ご機嫌いかがでしょうか。


     先月からスタートいたしました「現代USスポーツ人名鑑」。今月からはいよいよ、現代の米国スポーツ界を代表するトップアスリートや名監督、名物オーナーなどに焦点をあて、彼らの素晴らしい足跡を共に振り返っていきたいと思います。


     今回のテーマは、野球と並ぶアメリカの伝統的なプロスポーツ、ボクシングです。アメリカのボクシングと言えば、皆さんはどの選手を思い浮かべますでしょうか。不滅の名ボクサーとして人気が高かったモハメド・アリ、リング外の言動や数々の事件でも話題の中心となったマイク・タイソンが、ボクシングファン以外にも知られた2大有名ボクサーだと思います。


     さて、前回もお知らせしましたが「ダイスポワールド」には”WORLD BOXING EXPRESS”というブログのコーナーがあり、ここでは国内外のボクシング通の方々に書き込みしていただいております。
     今回の連載にあたり、米国在住のcorleoneさんに最近10年間のボクシング界の動向について概説していただきました。それによりますと、ボクシング界は大体10年周期で大変動が起こっているとのこと。前回は1993-94年頃がそれにあたったので、今年が新たな大変動の年と言えるかも知れないのです。


     そしてこの10年間の米国ボクシング界を引っ張ってきた最大の立役者の一人が、今日ご紹介するロイ・ジョーンズJr.です。1969年1月16日、フロリダ州北部のペンサコーラという町に生まれたジョーンズは、アマチュアボクサーとして134戦121勝13敗という素晴らしい成績を残し、1988年のソウル五輪に出場。不可解な判定により惜しくも金メダルを逃しましたが、銀メダリストの肩書きを引っさげて1989年にはプロに転向。5月6日、地元ぺンサコーラのシビックセンターでリッキー・ランドール相手にデビュー戦を戦い、2ラウンドTKO勝ちを収めます。ここからジョーンズの連勝街道がスタートしました。


     93年5月には、ワシントンDCのRFKスタジアムでバーナード・ホプキンスと空位のとIBFミドル級のタイトルを賭けて戦います。試合は接戦となりましたが、ジョーンズは判定で勝利を収め、新王者の座に就きました。翌94年、今度は同団体のスーパーミドル級の王座を獲得。さらに96年11月、WBC暫定世界ライトヘビー級タイトル獲得と、まさに無敵の快進撃ぶりでした。


     しかし翌97年3月、ニュージャージー州アトランティックシティのタージマハルホテルで行われた初防衛戦では、ダウンを喫したモンテル・グリフィンを攻撃していまい失格負けを喫してしまいます。これでキャリア初の黒星が付いてしまったジョーンズでしたが、同年にコネチカット州にあるフォックスウッド・カジノで行われたリターンマッチでは、グリフィンを1回KOで破りタイトルを奪回に成功。以後はWBC、そしてIBFの同級王座(後に返上)も獲得し、ライトヘビー級完全制覇に成功しました。


     それ以降、ジョーンズは桁外れのスピードを武器にした強さで次々と挑戦者を打ち破り、全階級を通じた最強のボクサー「ミスター・パウンド・フォー・パウンド」としての名をほしいままにしていきます。しかし無敵の強さを見せてもそれが逆に災いしてか、なかなか好敵手と呼べる相手が見つからず、内容的には不満足な試合が続くようになっていきました。やはりスポーツはボクシングに限らず、ライバルの存在が大きいとあると思います。最近だとF1のミハエル・シューマッハーが圧倒的な強さを見せて連戦連勝を繰り返していますが、セナ vs プロストのようなライバルの図式が無いため「強過ぎてつまらない、面白みが無い」という批判を受けている例もありますね。ジョーンズにもちょっと似たような悩みがありました。


     そこでジョーンズが選んだのはヘビー級への進出でした。WBA同級王者、ジョン・ルイスへの挑戦を表明したのです。両者にはかなりの体格差がありました。今回の試合に向けて体重を増やしてはいたものの、それでも15キロ差、身長・リーチでもかなりの違いがあったのです。いくらジョーンズが強くても、これだけサイズの差があればヘビー級王者に勝つのは無理だろう…そんな下馬評も聞こえてきました。


     2003年3月、ラスベガス。いよいよ歴史的戦いの日々が切って落とされました。
     しかし、いざ試合が始まってみれば、スピードと卓越した技術でルイスを圧倒。終わってみれば3-0と文句なしの判定で勝利を収めていました。現役ライトへビー級王者が、ヘビー級王座を奪取したのは1985年以来の出来事。またジョーンズはミドル級から出発して、スーパーミドル、ライトヘビー級に続く4階級制覇を達成しましたが、ミドル級王者からヘビー級を制したというのは、なんと1897年以来106年間もありませんでした。日本で言えば明治時代の出来事です。まさに空前の快挙と言えるでしょう。ボクシングの歴史に残る偉業を達成して、最高のボクサーという評価をますます確固たるものにいたのでした。


     しかしジョーンズは結局ヘビー級にとどまらず、再びライトヘビーでの戦いを始めます。2003年11月にアントニオ・ターバーを破り、WBC世界ライトヘビー級王座を再び獲得したのです。また今年からはボクシングの世界戦を中継するHBOの解説者にも就任しました。ちなみにジョーンズには、独立リーグでのバスケットボール選手というもうひとつの顔もあります。ディオン・サンダースばりの「兼業プロ」という訳ですが、そんなジョーンズにも波乱の時がついにやってきました。


     今年の5月15日、前王者のターバーと戦った初防衛戦で2回KO負けを喫したのです。これが事実上の初黒星。最強の男が屈辱を味わった試合は、ボクシング史上に残る、衝撃的な大番狂わせとなりました。
     ライトヘビー→ヘビー→再びライトヘビーと体重の増減を繰り返したことも、知らず知らずのうちにダメージとなっていたのかもしれません。栄光の王座から堕ちてしまった男は、果たして復活することが出来るのでしょうか。


     いかがでしたか。現代USスポーツ人名録、次回をどうぞお楽しみに。



     連載第51回
     現代USスポーツ人名録 第2回 ボブ・ストゥープス(フットボール、オクラホマ大学ヘッドコーチ)


     スポーツを愛する皆様、ご機嫌いかがでしょうか。
     アメリカのスポーツ界を代表する選手やコーチを紹介しております「現代USスポーツ人名録」今回はいよいよ、アメリカ最大の人気スポーツであるアメリカンフットボールの登場です。


     フットボールはその華やかな雰囲気、練り上げられた戦術、スポーツ科学の粋を凝らした最新トレーニング、そして高度に専門・分業化された各ポジションなど、まさにアメリカン・スポーツの最高傑作として発展してきました。その最高峰であるプロフットボールのNFLは、メジャーリーグやNBAも及ばない圧倒的な人気を誇っています。しかしこのNFLにも劣らない人気や伝統を持つのが、NCAAカレッジ(大学)フットボールです。特にUSC(南カリフォルニア大学)やミシガン大学、ノートルダム大学などの名門校は、アメリカの学生スポーツを代表する存在として、多くの人々に親しまれています。
     その伝統校の中に数えられるのが、きょうご紹介する南部の雄・オクラホマ大学でしょう。皆さんはオクラホマと聞けば、いったい何を思い出すでしょうか。ミュージカルの「オクラホマ!」か、あるいは子供の頃、憧れの女の子と踊ったフォークダンスの名曲「オクラホマ・ミキサー」でしょうか。阪神ファンにとっては、あの神様ランディ・バースの故郷としてもなじみが深いかもしれません。ほかにも、シンシナティ・レッズの名捕手だったジョニー・ベンチや、ヤンキースの英雄ミッキー・マントル、また陸上やフットボールでも優れた成績を残したジム・ソープなど、オクラホマ州は多くの偉大な野球選手を輩出しています。
     しかし、中でもオクラホマ大学「スーナーズ」と言えば、やはり最大の看板はフットボール。1950年代には破竹の47連勝を記録するなど3回の全米王座を獲得すると、1970〜85年にかけても、後にNFLダラス・カウボーイズを率いる事になる名将バリー・スィッツァーを擁して3度のチャンピオンに輝きました。強豪の名を欲しいままにしたスーナーズでしたが、1990年代は低迷。96〜98年シーズンでは3年連続で負け越してしまい、過去の栄光もすっかり地に堕ちていました。その古豪オクラホマ大(OU)を復活させたのが、今日ご紹介するボブ・ストゥープスです。1960年生まれのストゥープスは、アイオワ大学でディフェンスバックとして活躍。卒業後は母校アイオワ大やカンザス州立大学でコーチとしての修行を積み、1996年にはフロリダ大学ゲーターズの守備コーディネーター兼アシスタントヘッドコーチに就任。ストゥープスの指導の元ディフェンス力を向上させたフロリダ大は、この年全米王座に輝きます。そして1999年、ストゥープスは名門復活を託されてOUのヘッドコーチ(HC)に就任しました。低迷しているかつての強豪を、もう一度トップクラスのチームに立て直すのは大変なことです。ファンも相当フラストレーションが溜まっていましたが、ストゥープスは「期待されるのは当然のことだ。言い訳は許されない、成功するか、しないかのどちらかだ」と、強い決意でチャンピオンシップ奪回へ向けて歩みだしたのです。


     ストゥープス率いる新生スーナーズは、まず1年目のシーズンを7勝5敗と勝ち越すと、2年目の2000年シーズンには、攻撃の司令塔であるクォーターバック(QB)ジョシュ・ハイペルを中心としたパス主体のオフェンスを武器に快進撃。ライバルであるテキサス大学には前年も勝てませんでしたが、ストゥープスは「テキサスを畏れるな」と選手たちにハッパをかけて士気を鼓舞しました。するとこの年は、オフェンスが爆発して63-14と歴史的な大勝。また全米ランキング1位の強豪ネブラスカ大学との試合前には、過去に両校が対戦した試合ビデオを選手に見せて、この大一番の持つ意味を十分に認識させました。そしてOUは、31−14と強豪ネブラスカ相手に快勝を収めます。ストゥープスは他にも、かつてスーナーズの一員として活躍したOB達を呼んで選手に彼らの話を聞かせ、失われた伝統を選手の間にもう一度植えつけようと勤めました。
     こうして自信を取り戻していったOUは、州内の宿敵であるオクラホマ州立大学などにも勝利を収め、所属するビッグ12カンファレンス(リーグ戦)の決勝に駒を進めます。カンファレンス決勝では、カンザス州立大学と対戦して27−24の接戦に競り勝ち、遂にOUは無敗のまま、全米大学王座決定戦「オレンジボウル」に出場することになりました。対する相手は、前年の覇者フロリダ州立大学(FSU)。この年最優秀選手「ハイズマン賞」を獲得したQBのクリス・ウィンキを擁するFSUの有利が、戦前には予想されていました。ところがフタを開けてみれば、強力ディフェンスを擁するOUがFSUをがっちり押さえ込むと、2本のフィールドゴールを決めて6-0とリード。どちらも決定打を奪うことの出来ない、緊迫したロースコアの展開のまま、試合は終盤へ突入しました。そして勝負を決めたのはクエンティン・グリフィンのタッチダウン。これが決め手となり、オクラホマ大は13-2で予想を裏切って勝利を収め、実に15年ぶり7回目の全米王座を獲得しました。
     敗れたFSUの名将ボビー・ボウデンHCは「攻撃で何も出来なかった、彼らは守備で素晴らしいプレーを見せてうちの選手達を混乱させた」と完敗を認めました。そして低迷していた名門を、わずか2年で立て直すことに成功した40歳の青年監督ストゥープスの名声は、この全勝優勝により一気にアメリカ国中へと広まりました。ストゥープスは王座と共に、失われていたオクラホマのプライドも取り戻すことに成功したのです。


     翌2001年は、ネブラスカ大とオクラホマ州立大に敗れるなどやや不本意なシーズンとなりましたが、2002年はコロラド大を破ってビッグ12で再び優勝。翌年の正月に行われた伝統の一戦「ローズボウル」に出場すると、QBジェイソン・ゲッサー率いるワシントン州立大学を圧倒、34-14で快勝しました。2003年にも、この年ハイズマン賞を獲得するQBジェイソン・ホワイトを擁して全米ランキングのトップを走り無敗を続けましたが、カンファレンス決勝では惨敗。それでもこの年の王座決定戦「シュガーボウル」に出場しましたが、ここではルイジアナ州立大に敗れ、ストゥープスにとって2度目の全米王座獲得はなりませんでした。
     だが、毎年のように強いチームを作り上げてくるスーナーズのこと、来る2004年シーズンも活躍が期待されています。そしてストゥープスにはNFLからの引き抜きも噂されていましたが、今年はオクラホマ大の全米王座奪回に向けて燃えていることでしょう。



     連載第52回
     現代USスポーツ人名録 第3回 ティム・ハワード(サッカー、マンチェスター・ユナイテッド)


     スポーツを愛する皆様、ご機嫌いかがでしょうか。
     アメリカのスポーツ界を代表する選手やコーチを紹介しております「現代USスポーツ人名録」。
     今回は、米国サッカー界から将来性あふれるヤング・スターをご紹介しましょう。それはマンチェスター・ユナイテッドのGK、ティム・ハワードです。


     世界最大のスポーツ大国、アメリカ。そして世界最大の人気スポーツ、サッカー。しかしアメリカはよく「サッカー不毛の地」などという、ありがたくないレッテルを貼られることが多いですね。野球、アメフト、そしてバスケなどと言った、米国生まれの人気スポーツに比べると、確かにサッカーというスポーツに対する関心が高いとはいえません。やるスポーツとしては、サッカーはアメリカでもたいへん多くの愛好者を抱えておりますが、見るスポーツとしてはいわゆる「四大スポーツ」に後塵を拝し、また世界中の人々を熱狂の渦に巻き込むサッカーの祭典、ワールドカップの人気もさほどあるとは言えないのが現状です。
     その中でも、世界最強の呼び声が高い女子サッカー米国代表に比べると、男子の代表チームは注目度で一歩も二歩も劣ります。女子サッカーのヒーローと言えば、ご存知ノマー・ガルシアパラ遊撃手(シカゴ・カブス)の奥さん、今回のアテネ五輪でも活躍しているストライカーのミア・ハム選手が良く知られていますが、では男子代表のスターは...というと、アメリカのスポーツファンの間でも、すらすらと名前を挙げることの出来る人は稀でしょう。2002年のワールドカップ日韓大会では、大方の予想を裏切ってベスト8に進出、準々決勝ではドイツと白熱の好勝負を演じたにもかかわらず、です。世界の基準から見ても米国代表は、高い技術と運動能力を生かしたハイレベルなサッカーを展開していますが、人気が追いつくにはまだまだ時間がかかりそうな気配ですね。サッカー文化が成熟していない事情はあるにせよ、これではちょっと、チームUSA(米国代表)の選手たちがかわいそうになってしまいます。


     そんな中でも、ハワードは米国期待のスーパースター候補生と言っても良いでしょう。いや「候補生」という呼び名は、必ずしも正しくないかもしれません。なぜならハワードは、あのイングランドサッカーにおける名門中の名門クラブ、マンUの正ゴールキーパーを務めているのですからね。アメリカ人がマンUのGK、これは野球にたとえて言うなら、ニューヨーク・ヤンキースの捕手が英国人、というぐらいの価値があるでしょうね。
     といっても、米国人ゴールキーパーの優秀さは、既にイングランドでは保障済みでした。たとえば、トットナム(ロンドンの古豪)のキーパーはやはりアメリカ出身のケーシー・ケラー選手。またブラックバーンのGKも、アメリカ人のブラッド・フリーデルです。フリーデルは米国代表として2002年ワールドカップにもスタメン出場、ビッグセーブを連発して高い評価を得ていました。そんな中、2003年まで米国プロリーグのMLS(メジャーリーグ・サッカー)、メトロスターズに所属していたハワードがいきなり欧州屈指の強豪マンチェスター・ユナイテッドと契約を結んだのですから、多くのサッカーファンが驚きました。


     ではここで、ハワードの経歴を簡単に述べておきましょう。1979年にニュージャージー州ブラウンズウィックに生まれたハワードは、1998年に地元チームであるメトロスターズに入団。同年デビューを果たすと、徐々に出場機会を得て経験をつみながら、レギュラーGKのポジションを掴みます。米国代表としても2000年にはシドニー五輪メンバーに選ばれると、翌2001年にはMLSのオールスターに選出され、米国内では屈指の若手キーパー、という評価を得ていきました。2002年にはフル代表でもデビューを果たしたものの、残念ながらワールドカップ本大会でのプレーはかないませんでしたが、しかしその若き才能を高く評価したマンUにより、4年契約を結んで大西洋を隔てた英国へと渡りました。ただ、口の悪い英国メディアの中には、名門クラブがこの無名のアメリカ人と契約を結んだことに対し、疑問を持つ風潮が支配的でした。
     だがハワードは、そのままスターティングGKの座を奪ってしまいました。もともとマンUにはフランス代表のベテラン、経験豊富なGKファビアン・バルテズがいたのですが、サー・アレックス・ファーガソン監督は若きハワードにチャンスを与えたのです。そしてハワードは、期待にこたえてそのままレギュラーに定着することが出来ました。ハワードはボールに対する抜群の反応、そして正確かつ堅実なキャッチングやセービング技術などを見せて、試合を重ねていくごとに評価を高めていきます。シーズン開幕前の、無名GKに対するメディアからの疑問は全て解消していました。もちろん敗戦の苦い経験もつんでおり、その結果時として先発の座を譲ることはあっても、ハワードの評価が揺らぐことはなかったと思います。


     昨シーズンのプレミアリーグでは、アーセナルが無敗のままシーズンを終えるいわば「完全優勝」を果たしたため、ハワードは初年度からのリーグ優勝を果たすことは出来ませんでした。しかしマンUは、世界最古のサッカー大会、日本の天皇杯にあたるFA(イングランドサッカー協会)カップでは決勝にまで進み、優勝を果たします。イングランドでは、このFAカップが大変権威のある大会として知られていますが、その優勝チームのGKがアメリカ人というのは素晴らしい快挙を成し遂げた、と言っても良いでしょう。ハワードはこの試合で終了直前に交代でベンチに退きましたが、対戦相手のミルウォールをそれまで無得点に抑えており、英国と米国サッカーの歴史に新たな1ページを残しました。そしてシーズンベスト11の座を見事獲得したのです。
     いまや英国のサッカーファンで、彼の名前と顔を知らない人は殆どいないと言っても良いでしょう。しかし母国アメリカでは、彼の名前はまだまだ有名とはいえません。なんとも残念な気がしますが、まだ25歳のハワードにとっては、これからが米国内での名声を得る絶好の機会です。それはなんと言っても2006年のドイツ・ワールドカップに出場を果たし、自らの力でアメリカ代表を優勝に導くよう全力を尽くすことでしょう。そして与えられたチャンスをものにし、ヨーロッパで地位を築き上げた若者ハワードに、これからも世界の注目が注がれることは間違いないでしょうね。


     いかがでしたか。来月もまた、この時間に、パソコンの前の、あなた!とお会いしましょう。


     ※現代USスポーツ人名録、第4回〜7回はこちらから。


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